千曲万来余話その687:P.I.T ピアノ協奏曲1番2楽章、主体性の条件という主題と展開
楽譜は音楽ではない、すなわち設計図なのであり音にではなく音楽のためにある。楽譜に忠実であるということは、作曲者へのリスペクトの上で演奏者は音楽の表現として尊重される。作曲家と楽譜の間には楽譜印刷という媒体が有り、当然、楽譜=音楽という図式ではなくて「解釈と演奏」という重要なファクトが介在する。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23の第2楽章では開始早々のフルート独奏には2種類の演奏がレコードにより記録されている。以下の音盤一覧でフルート独奏は第2楽章の主題音型を吹奏している。
1929年録音ソロモンpf、サー ハミルトン・ハーティー指揮ハルレ管弦楽団 iGi-333
1940年7/11録音コンラート・ハンゼンpf ウィレム・メンゲルベルク指揮ベルリン・フィル パストマスターズPM・18
1952年録音シューラ・チェルカスキーpf レオポルト・ルートウィヒ指揮ベルリン・フィル DG 18013LPM
1952年頃録音モニーク・デラ・プルショルリpf ルドルフ・モラルト指揮ウィーン国立フィルハーモニア VOX PL7720
1956年録音パヴェル・セレブリアコフpf エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ウエストミンスターXWN18179
1956年頃エディト・ファルナディpf ヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管 ウエストミンスターXWN18578
1958年頃ステレオ録音コンラート・ハンゼンpf ウォルフガング・サヴァリシュ指揮RIAS交響楽団 キングレコード(原盤オイロディスク)
ステレオ録音カール・ベルンハルトpfヨーク交響楽団 コロネットレコーズCXS-107-A
1955年10月録音エミール・ギレリスpf フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団 RCA VICS-1039
1962年頃録音ソンドラ・ビアンカpf ハンス・ユルゲンワルター指揮プロムジカ交響楽団ハンブルク JOKER SM1008
1970年頃ヤーコブ・ギンペルpf オットー・マツェラート指揮ベルリン交響楽団 OPERA71971
ルートヴィヒ・ホフマンpf ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団 ゴールドアワードJ-109
ユリアン・フォン・カーロイpf ギーカ・ツドラフコヴィチ指揮バイエルン放送交響楽団 SMVP8002
1970年録音イヴァン・デスヴィスpf ヘンリー・ルイス指揮ロイヤル・フィル LONDON SPC21056
1972年録音クルト・ライマーpf ギュンター・ナイトリンガー指揮スカイライン交響楽団EMI ELECTROLA C063-29093
以上のLPレコードで記録されているフルート独奏のメロディーは第2楽章アンダンティーノ・セムプリーチェ・プレスティシモ・テンポプリモでの独奏ピアノが弾奏する主題と同じ音型である。ターティ/ララーという3番目の音が飛躍する。現在流布している楽譜の多数派はターティーララーという音型で主題と違えて下から入る音型になっている。ホロヴィツpfトスカニーニ指揮(1940年RCA盤)とかカーゾンpfセル指揮(1950年DECCA盤)などは現代多数派の先取りである。
この音楽の違いは使用楽譜に拠るから交響楽団フルート奏者が関与する問題とはならないのであり指揮者の解釈責任問題といえる。なんのことはない。シューラ・チェルカスキーpfなどのレコードも1969年録音盤は多数派で下から音がつながるフルート独奏で、指揮者のムラヴィンスキーなどもリヒテルとの録音は多数派の音型を採用している。
チャイコフスキーは1874年12月完成した時に、「私はこの曲のただ一つの音符も変えない。このまま印刷させるつもりだ。」との言葉を残している。ニコライ・ルービンシュタインには受け入れられずも1875年10月25日ハンス・フォン・ビューロウpfによりボストン初演をなしとげられ、彼には献呈されている。ただし1889年には作曲者自身も手を入れて改変されていてこのフルート独奏メロディー問題はこの経緯と関係があるものかもしれない。
現代の情報量は圧倒的に改変版がほぼ採用されているのだが、チャイコフスキーはモーツァルトの音楽にやすらぎと慰めを求める音楽家であるという前提を大切にするとき、イレギュラー音型のフルート独奏ではなくて、ごく当然の主題演奏こそ作曲者の真髄ではないのかという感覚は盤友人の現在の心境である。主体性とは、その前提条件こそ問われる立ち位置ではないものでなかろうか・・・