千曲万来余話その686:タイタン角笛交響曲、巨人マーラーが見た夢というか・・・
9月末の札幌コンサートホールkitaraにロンドン交響楽団が登場し、そのパワフルでカラフルそして彼らの伝統を失わない多様性ある楽団員の演奏するマーラーに感銘をうけた。ラフマニノフのピアノ協奏曲1番の後期ロマンチシズムの馥郁たる音楽もさることながら、世紀末から新時代の夜明けをさまようグスタフ・マーラーのチャレンジ交響曲に、その革新性を満喫できた。アントニオ・パッパーノ指揮したステージは、やや満席に近い聴衆の求めに呼応した若々しい音楽で充満した。楽団員がハケてから止まない拍手に指揮者は舞台に呼び出されたのは稀なことだった。
1884年頃から取り組まれた交響曲1番の構想は28歳作曲者の指揮により1889.11/20ブダペストpo.による初演で若人の苦悩と青春の歓びを爆発させた成功作である。ブラームスの1番は1876年初演ブルックナーは1865年になるしチャイコフスキーは1868年、ラフマニノフ1897年、シベリウス1899年だから実は第1番交響曲が軒並みに発表された19世紀末のラッシュだったのかもしれない。ちなみにショスタコーヴィチは1926年レニングラードでの初演である。
楽曲の開始は、チャイコフスキー弦楽セレナーデ第4楽章の冒頭と一瞬みまごう。78年作4番交響曲と88年作5番の中間1880年作品、マーラーにこのロシア作曲家の存在は、影響が大きく後年6番交響曲をあえてパテティークではないトラジック悲劇的という具合にネイミングしていることを、気に留める必要がある。1905.10/15パリではドゥビュスィ曲交響的素描として海、風と波の対話では完全にマーラーの管弦楽法、弦楽アンサンブルでハーモニクス倍音のフラジオレット奏法をとりいれた音楽は、即ちタイタン交響曲巨人の開幕音楽でもある。こういう音楽史は、音楽鑑賞に必要とされるものでもあるまいが、俯瞰すると、歴史の綾が手に取るようで、実に、楽しい知識情報ではある。
翔という漢字を漢和辞典で引いてみるに、高く飛び回るという意味の他に、恭しいかしこまった態度という意味を併せ持っている。実るほどこうべの垂れる稲穂かな、収穫の秋に感謝する心を教えられるとき人生での取るべき方向性は、必要とされる態度姿勢であり、今この時点で札幌からニューヨークに活躍する青年は、この交響曲1番で称賛される若者なのかもしれない。
第3楽章はコントラバス、ティンパニの合奏が聴きどころの一つである。オーボエが突然とびだすのだが、出を間違えるとクラウン道化師のようで、実に、厳しい瞬間である。なお、第4楽章フィナーレで、ロンドン交響楽団打楽器陣は5人、4個のティンパニー2セットを二人が受け持ち、バスドラム大太鼓、シンバル、タムタムやトライアングルなど5人が集中力を遺憾なく発揮する、リアルオンタイム同時の瞬発力は今年通ったキタラホールで経験したことのない、感銘深い一瞬間であった。これは、チームワークの勝利であり、例えば舞台上手袖の第2ヴァイオリン首席奏者の楽器ネックを高く保持して目線の先にキープするその演奏スタイルも深く記憶に残るがごとくである。
レコードではエーリヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団は、B面の冒頭ティンパニのリヴィングステレオ録音の成果というかLPレコード醍醐味のひとときである。ラジオ・コーポレイションオブアメリカRCAの1962年録音盤は不滅の録音の一枚。ウィーン出身でミュンシュの後釜、小澤征爾の前任第12代音楽監督。彼の指揮はミュンシュ指揮の様に即興性を前面せず、新即物ほど冷たくはなく、演奏メンバーが熱く演奏する典型的経験豊富な職人芸的指揮者であり、達者な音楽演奏を展開させる立派な指揮者である。
盤友人は最近になり、指揮者の芸術は演奏者の自発性ある音楽を導き出すものという認識で、個人技もさりながらアンサンブルの統率者というべき、人物としての存在にものすごい魅力を感じているからつくづく芸術の奥深さを知る…