千曲万来余話その683「ラヴェル曲ボレロ、作曲者指揮したレコード・・・」

 集中豪雨と空梅雨という6月の空模様で災害に会われている皆様にはこころよりお見舞い申し上げます。夜中の天頂にはデネブ、ベガ、アルタイルという大三角形が鮮やか、デネブは白鳥座に位置して北方の下にはWの形でカシオペア、西方の中空にはひしゃく星の北斗七星という七つ星で姿を現している。真夏の夜の星空もまた、見ものだろう。
  5月にはキタラホールでは、クセナキス曲ノモス・ガンマとラヴェル曲ボレロが上演されていて、2023年5月には愛知県芸術劇場でも同じ指揮者により演奏された。ノモス・ガンマは指揮者を中心に同心円上に管弦楽団員が取り巻いて、ステージでは黒い衣装の指揮者が中心で指揮し、ボレロでは同じ配置で赤い衣服の指揮者、照明が落とされてスポットライトを浴びた独奏者による演奏が展開され総奏では照明が全開し最期の一音でライトダウン、ホール暗闇の中ブラボーの掛け声で会場が明るくなるという演奏会であった。
 ここで指摘しておかなければならない事実は、同心円上での楽員配置では弦楽器の音響厚味感は希薄になるという結果である。これは充分に予想されたものであって、それを実演したのは、井上道義指揮札幌交響楽団顔合わせによるラスト公演の一環であった。
 ボレロはラヴェルの1928年パリ在住ロシア人舞踏家イダ・ルービンシュタイン夫人の依頼作曲による。4月に作曲始めて11月には初演でルービンシュタイン夫人主演だった。設定されたスネアドラムによる3拍子、4小節の通奏により340小節の間にドラム、フルート、クラリネット独奏さらに管楽器の交替という組み合わせの展開により最後は全管弦打楽器のフルヴォイスで大団円、15分余りの舞曲である。テンポは始めから終わりまで変わらず、主題とその応答という2つの旋律で反復されていく。テンポはボレロで、中庸充分な速さでというもの。チェロとアルトはピツィカートというつま弾く演奏も、冒頭から164小節続く。ここで、ピツィカートの演奏を楽器の構えが問題になる。すなわち、アルト=ヴィオラが胴体を抱えてバラライカ、マンドリンのごとく演奏すると明らかに楽器胴鳴りが獲得されず、聴いていてつまらないものになる。指揮者の判断による。だから、同心円上での配置の限界というか、舞台の上で、チェロとアルトが中央、ヴァイオリン両翼配置が演奏効果の上で意味ある舞台配置である理由が証明される。
 ピエール・モントゥー指揮したロンドン交響楽団1964年フィリップス録音はそこの所、弦楽器斉奏の効果が抜群である。演奏タイム15分20 秒。ここでシャルル・ミュンシュ指揮する1956年ボストン響13分50秒そして1962年15分01秒、1968年パリ管17分04秒など演奏タイミングの変化は微妙である。ポール・パレー指揮する1958年デトロイト響13分24秒、 ロリン・マゼール指揮フィルハーモニア管1971年13分05秒、フランス国立管1981年13分53秒、 ズービン・メータ指揮するロスアンジェルス・フィル1972年13分50秒という具合で、世界初録音はピエロ・コッポラ指揮パリ交響楽団1930年15分38秒、数日後に作曲者自演ラムルー管弦楽団1930年初め頃15分37秒というものである。ラヴェル自身は演奏17分を予定していたのだが、結果コッポラ指揮に近いものであった。
 興味深い事実としてトスカニーニ指揮は、1939年1月NBC交響楽団と13分余りで録音している。フルトヴェングラーは、ベルリン・フィルと1930年11月に2回ほど上演して記録されているのだが録音は未だに発屈されていない。ボレロの演奏で小太鼓の叩く音符の数、4000余り15分間同じテンポでひたすらにクレッシェンド、作曲者の指定により291小節から二人に追加など壮大なステージが展開される。舞台両袖にヴァイオリンが配置されてこそ弦楽器は厚味感を発揮して理想実現となる・・・