千曲万来余話その681「ベートーヴェン第9合唱、音盤再生する良い音とは何かそのwoo・・・」
LPレコードを買うその動機は、ジャケットが良いというのも、良い音をとかもあり、ベートーヴェンの第9でフルトヴェングラー指揮、そしてバイロイト祝祭ライヴ録音となると今までも色々購入していて、今年5月3日に購入した2023年キングインターナショナル・リリースによるLPレコードは、はずれのないものだった、否、最近の場外ホームラン級のものだった。何がすごいのか?再生音の素晴らしさ、おやっ、音楽に関係あるの?とか疑問の向きもあろうが、レコードの実力に脱帽する経験である。
第9の初演は作曲者53歳という人生経験も当時としては、最晩年の5月7日ウィーン・ケルントナートゥーア劇場。合唱者人数など劇場のサイズからして現代の半分くらいが予想される。バイロイトでのサイズ推察するとコントラバスが8人として弦楽五部60人くらい、2管編成で他にティンパニ、バスドラム、トライアングル、シンバルなど30人位で独唱者、コーラス110人位なら総勢200人規模。指揮者はウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30、1951.7/29バイエルン放送録音で、スウェーデン放送局音源テープ完全収録盤初LP化。
再生し一聴するに、舞台の雰囲気、空気感が十二分に再生される。モノーラル録音は音が悪いというステレオタイプの先入観は、悲しいかな、「幸福」に無縁な方と言うべき向きだろう。実際、体験をしないから悪態が発信されるまでで、今回の購入決断は今年初めてのビッグイヴェントとなった。ステレオ録音とどこが異なるのか? 良い悪いという価値判断ではなく、客観的にいうと定位ローカリゼイションという左右感覚がなくて、単一音源でマイクロフォンが拾う録音、再生する時に左右中央という3点感覚は無いまでである。広がり感はスピーカー2台による全体感覚である。
F氏による指揮芸術は、管弦楽の集中力を遺憾なく極限まで突き詰めた至芸、舞台上の楽員の時間感覚は、ジャストオンタイムという緊張感の実現という、ベートーヴェンの至上の音楽的課題、解決の実例だろう。盤友人として既に1942.3/22ナチス総裁生誕記念御前演奏会、ベルリンライヴをレコード再生で体験しているし、ヴィデオでも視聴している第9のF氏指揮した音盤再生である。明確に発信すべきは、弦楽5部の楽器配置である。51年バイロイト盤は推察の範囲、現代のヴァイオリン第1と第2を束ねたもので、1942年盤はVn両翼配置のものになる。簡単に、音楽上で両者の差異は無い、という前提で現代のオーケストラ音楽会の多数派はF氏の規範によるところが大きい。すなわち、ウィーンフィルハーモニーの新春音楽会では1987年から両翼配置が最近は採用されて、東京でも頻繁に体験されている。もちろん、札幌の音楽会でもである。どういうことかというと束ねる配置は古いスタイルになったまでである。流行の先端は、古楽でも、両翼配置である。
室内楽でも、ヴァイオリン両翼配置は時代の最先端を行く。すなわち、古典四重奏団、舞台中央はチェロとアルト、その上で両翼にヴァイオリンを配置するというのは、フルトヴェングラーの歴史をまなび、男性的な音楽を再生する。つまりバイロイトの第9演奏の特徴は、女性的ともいえる、指揮にすかさず反応して流れるのだが、両翼配置となると、楽員集団のさらなる緊張感からかんたんには、なで肩のような旋律ラインにはならない。だから、今回のスウェーデン放送局の音源による再生で、フルトヴェングラー指揮芸術の特色が、一層姿を現したというべきで、オーディオとして求める良い音とは、生々しい空気感や雰囲気という生の音楽の再生に徹する録音技師の手腕の発揮するところであるだろう。KKC1230/1(2LP)を購入することに、歓びこそ約束されている・・・