千曲万来余話その674「モーツァルト鎮魂ミサ曲コルボ指揮、只管に平和を祈る・・・」
来年は、このサイト10周年を迎える。たいへん目出度いことで、これもサイトアクセス30日あたり2000を超える皆様のおかげ様による。ありがたく、なお励みになることだ。LPレコードに関わり、演奏の紹介で必ず、耳を通してから資料的な事項、持説などをサイトに上げるのだが、何か演奏内容の紹介に不足している感が有る。しかし、アナログレコードの魔力にのせられてサイト文章に取り組み、そのオーラを少しでも皆様に届けたく、発信に努めている。
今年の世情では、なにかしら大戦の前夜ともささやかれているとおり、日々テレビや新聞で報道されるのは戦場映像にあふれている。少し考えると吾らの世代は青春時代にヴェトナム戦争が有り、写真家ロバート・キャパの最後の一枚で印象的な、晴天下の地雷原が象徴的であった。この撮影の後に自身が死去したという悲しい、そして痛ましい記録が残されたのである。今から50年余り前の出来事、そしてその後もどこかしらで戦争は継続されていて、現在、その導火線は不気味である。
レクイエム、死者に永遠の安息を祈り、鎮魂の音楽を捧げたのは、1791年12月5日を命日とするウォルフガング・アマデウス・モーツァルト、享年35歳。偶然、ケッヘル番号626という数字が刻印されているとおり、625=5×5×5×5の後に続く通り、ラクリモーザ涙の日の8小節をもって弟子たちに完成を託した未完の名曲。入祭唱イントロイトスの開始、男声バスがレークイエム・エテルナム・ドーナ・エイスこれは、歌い出しとして力が込められて謳われやすいのだが、ミシェル・コルボ指揮したリスボン・グルベキアン管弦楽団、合唱団の演奏では、その歌唱は力の抜かれた歌で、ファゴットやバセット・クラなど木管楽器の演奏と合わせた、優れた解釈である。1974年エラート・レーベル録音。この歌い出し方に特別な意味を感じられたのは、2023年今年のマイ・オーディオシステムのグレード・アップによるところが大きい。どういうことかというと、良い音、皆さんがはっとされるのは、音の鮮やかさ、明瞭さ、美しさによるところが大きく、コンパクトディスクのもっとも売り込みのポイントにうってつけであろう。ところが、LPレコード再生で印象的なのは、はかなさ、暗さ、うつろいやすさといったゆらぎの音楽の印象的なところにある。
指揮者ミシェル・コルボの音楽的設計は、クレッシェンドというのは1小節内で収まることなく、4~8小節に渡り実演されていてその収束のデミュニエンドもそのくらい時間をかけて収まるところに帰着している。すなわち息の長いフレーズで演奏されているといえる。だからそこのところ、といった極小的な感覚ではなくて、全体を眺め渡した音楽が息づいている。この感覚に至るまで盤友人は、40余年の年月でオーディオライフの道程を必要としたまでである。
コルボ指揮する合唱藝術は、録音エンジニアであるピエール・ラヴォアの技術力に負うところが大きい。ステレオ録音の定位感もさることながら、旋律線がカテドラル聖堂の音響における光と影、すなわち、残響のきれいなメロディーラインが表現されていて、固まりにならずに爽やかな旋律という理想の音楽を聞かせている。この種の音楽を再生できる悦びこそ、「札幌音蔵」のキャッチコピー「音にではなく音楽のために」そのものである。オーディオの深化は、弱音の印象的な力強さであり、強い音の歪みから解き放たれた、ふわっと包まれる喜びにある。
ひたすらに祈る、戦争を止め、平和のうちに両者共存の理想を実現するために、、、レクイエムは、死者のためにあるのではなく、生きとし生けるものが只管に祈り続けることによる強烈なアピールの音楽といえるのかもしれない、宇宙が鳴り響いているような・・・ 皆様よいお年を!