千曲万来余話その668「マーラー3番、第6楽章をM氏白鳥の歌で聴く・・・」

 先の日曜日、さっぽろラーメンの老舗、味の○○で味噌ラーメンを食した。ちょうど野口英世さん1人分の価格、盤友人が中学生の頃、180円だった。もっとも、アンパン10円だったから貨幣価値としては順当な経緯で、国家予算規模も並行していることと考えられる。当時、30cmレコードは一枚2000円なのが常識でビートルズ、イエスタデイのシングル盤は400円だった。
 日曜日の調理担当は、最古参の店主hideoさんで、その腕によるスープをすすると香ばしい。一味目からその感激は湧き、玉ねぎの炒めた具材は味がしっかり閉じ込められていて、ひき肉の濃い味わいは、決定的と言える。盤友人は、スープ最期の一滴残さず、賞味してコップの水で容器を浄め、御馳走様を申し上げることにしている。そういえば、映画幸福の黄色いハンカチ、山田洋次監督は、俳優武田鉄也の演技指導にあたり、ラーメンをはしで食べるではなく顔をラーメン丼に寄せて啜るという具合に直させたという。盤友人もそれにならい、顔を寄せることにより、スープの香りを一緒に味わう工夫をしている。
 21水曜日は夏至にあたり、日の出から日の入りまでの時間は一年間でもっとも長い。グスタフ・マーラー1860.7/7プラハとウィーンの中間、カリシュトで生まれる。没年は1911.5/18ウィーン。第3番交響曲ニ短調は夏の朝の夢。彼曰く、音楽を書こうとするとき、人々は描こうと思ってはいけない、文章を作ろうと思ってはいけない、音楽することは、全人的な仕事である。音楽家は文学者や画家、哲学者ではないのだから、音楽それ自身をもって発言しなければいけない・・・自然を愛する感情だけではなしに、自然自身の声が響いてくる、夏の朝の夢。1893年に書き起こされ、96年に完成している。第1楽章が第1部「牧神が目覚め夏がやってくる」であり、第2部は残りの5楽章。全曲初演は1902年、指揮はリヒャルト・シュトラウスで大成功を収めたと伝えられている。第2楽章「草原の花は私に何を物語ったか」「嵐が草原の上を吹きまくり、より高い国で贖罪へ逃れるように、茎の上で呻吟する」第3楽章、「森の動物は私に何を語ったか」第4楽章「人間は私に何を物語ったか」第5楽章「天使は私に何を物語ったか」第6楽章「愛は私に何を物語ったか」これら標題はこれ以後、作曲者自身により取り除かれてしまった。
 ディミトリー・ミトロプーロス1896.3/1アテネ生~1960.11/2ミラノ、スカラ座リハーサル中にハート・アタック心臓発作のために急死。マーラーの3番が彼にとり白鳥の歌となった。持ち前の耳の良さと記憶力、楽団員のファーストネイムを覚えて、第2ヴァイオリンの最期のプルト譜面台奏者のミスまで指摘するという逸話が伝えられている。現代音楽コンテンポラリー同時代音楽にも積極的にかかわり、アルバン・ベルク曲歌劇ヴォツェックのレコードでの指揮はミトロプーロスだった。1937年からミネアポリス交響楽団、1949年から57年までニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務め、58年バーンスタインに後進の道としてその席を譲っている。ウィーン・フィルハーモニーの指揮台にもしばしば登場、そのエネルギッシュな音楽は、コンパクトディスクでも紹介されている。
 彼は生涯、独身を通し不犯ふぼんの高僧とまで陰口されていた。
 彼が指揮した映像で確かめられることはヴァイオリンダブルウイング、古典配置で弦楽アンサンブルを指揮している。ヴァイオリンとチェロ、コントラバスが舞台下手に配置され、ピュアトーンというゆらぎのない、純正調のピッチによる和声ハーモニーが奏でられている。舞台上手にアルトと第2ヴァイオリンのボウイング弓遣いが揃えられるとき、実に美しい。この配置こそは作曲家にリスペクト尊敬の念を表明した配置採用であり、機能主義とは一線を画している… このレコードは、1960.10/31ケルン放送交響楽団演奏における西ドイツ放送による。2日後に帰天。