千曲万来余話その658「M氏17番喜遊曲ニ長調、ヘッツェルさんの想い出・・・」
明けました。今年も皆様にとり佳き年となりますように。いま東南の夜空に赤茶色く火星が輝いている。その南下には冬の大三角形ベテルギウス、プロキオン、シリウス、オリオン座下にウサギ座が位置する。1/7は満月のウルフムーンで狼が遠吠えする季節(米国ネイティブ話)といわれる。
今年の御籤は17番小吉、ということでもないけれど、モーツァルト喜遊曲の想い出をふりかえる。初めての出会いがボスコフスキーてデッカLXTナンバーのモノラル盤。モノ録音はマイクロホンに対して楽器それぞれが正対していてスピーカーから再生音を鑑賞する具合である。つまり左右の感覚はないが、奥行き感や録音会場の音場感が実に嬉しいものである。それに対してステレオ録音は、左右の広がり感がプレゼンスとして認識される。日本コロンビアによるデンオン・マスター・ソニック・シリーズ、1991年4/29~5/4カジノ・ツェーガーニッツ・ウィーン録音、当時のデジタルLPレコード盤を聴いた。
ウィーン室内アンサンブル、リーダーはゲルハルト・ヘッツェル1940~1992ユーゴスラヴィア出身である。彼はウォルフガング・シュナイダーハンに師事し、ベルリン放送交響楽団コンサートマスターを歴任、1969年同じくウィーン・フィルの座に就任している。カール・ベームやバーンスタイン指揮の下で彼の姿は記憶されている。1992年カルロス・クライバー指揮したニューイヤーは、ヘッツェルさんの生き生き演奏する姿がDVDで確認できる。この年の夏、アルプスで滑落、手をかばうことから頭部強打により逝去、享年52歳、これからますますの活躍が期待されていた矢先の出来事。その喪失の哀しみは想像するに余りあるものだった。
喜遊曲の意味するところは、気晴らし、おもしろいこと、セレナードのように野外でとかそうしたものではなく、娯楽で室内楽として弦楽5部でホルンが2本という編成になる。室内楽は指揮者の替りをヴァイオリン首席がとりしきる。このレコード、あたかもヘッツェルさんが独奏であとはひたすらに、付いていって合わせるのに必死な様子が伝わってくる。そう、スピード感が有り、緩むところが無くてそのテンポ感をあたかも愉しむがごとき、この1991年の世相を反映しているのかもしれない。というのも、ウィーン・フィルの業績としてジェイムズ・レヴァイン指揮したモーツァルト交響曲全集がリリースされ、カラヤン指揮した1987年ニュー・イヤー・コンサートなどヴァイオリン両翼配置が採用されてきていた時期なのである。これは、金字塔、ヴァイオリンの第1と第2を舞台袖に展開したことなのである。つまり、ステレオ録音時代は、左右の分離を明快にする手段として指揮者の右手側にチェロとコントラバスを配置した。すなわちこのステレオ観は、左高音域、右低音域という典型的ステレオ観を植え付けたことになる。盤友人の青春は、ヴァイオリンが並んでいることに固定観念が植え付けられたことになる。ところが、2023年ニューイヤーコンサートなどで分かることは、ウィーン・フィルは作曲者の時代配置に遡ったことになる。これが、21世紀のスタンダードになりつつある現代なのだろう。
ヘッツェルさんの録音では、ステレオの感じが、モノラル録音に近く、中央に楽器が集中する感覚である。つまり、彼は、クライバー指揮の音楽スタイルを演奏しつつ、配置は旧態依然である。ここが両翼配置になるとどうなるのか・・・という現在なのだろう。第4楽章アダージオを聴いていると、フルートと管弦楽のためのアンダンテK315と相似する音楽である。1778年マンハイムでの作品、それが17番喜遊曲ニ長調K334ザルツブルグ1780年頃の作品に聴こえるのは、モーツァルトならではの多作ぶりなのだろう・・・