千曲万来余話その654「B氏ハ短調作品111味わいと熟し具合と・・・」

 今年の秋は銀杏の黄金色がことのほか味わい深い。いつもはナナカマドや紅葉の赤味具合が強烈なのだが、ススキの穂や公孫樹の黄色がまぶしい位である。季節の果物として柿、奈良や和歌山、山形や新潟産のおけさ柿が美味である。柿の食べごろについて、堅い派と柔らか派に分かれる。どちらかなどとは言わないで、盤友人は少し堅目という触感で程よく柔らかいのを好みとする。
 先日キタラホールでレクチャー付きのリサイタル、バッハとモーツァルト、ハイドンとベートーヴェンの組み合わせで色々なテーマを取り上げていた。B氏変イ長調作品110のソナタをお仕舞いに持ってきた。全32曲ソナタのうち31番でもって100楽章を書き上げている。シフピアノリサイタルで彼はハ短調をカラーでいうと銅色ブロンズ、ト長調は青色ブルー、ロ短調は黒色ブラック、という指摘をしていた。これは興味深い問題であり、この色彩感覚は彼の音楽観を反映している。ハ短調を鳴らしていてその後にト長調を弾くとき、何かしら青空のイメージが広がるのはその同じ感覚共有を喜びたくなる。ロ短調アダージォはモーツァルトの鍵盤楽器曲で唯一の選択らしい。それはバッハのロ短調ミサの影響を指摘していた。スタンダール小説赤と黒で、赤は兵士そして黒は修道士の象徴であった。
 B氏の交響曲ハ短調は第5番作品67、ピアノソナタ第32番ハ短調は作品111。この事実を偶然ととらえるか、彼の意志ととらえるか、その人のベートーヴェン愛により結果は異なることだろう。いみじくも、1822年春に作曲完成していて今年はちょうど200年祭にあたる。彼が52歳の年で亡くなる5年前だから晩年の傑作、その音楽は人生のその先を表現しているかのよう。2楽章形式でマエストーソ荘厳にアレグロ・コン・ブリオ・エト・アパッシォナート四分の四拍子という第1楽章、運命と熱情のハ短調である。第2楽章アリエッタ、短い詠唱、アダージォ・モルト・センプリーチェ・エ・カンタービレゆったりとして、充分に淡々として詠う様に。ハ長調16分の9拍子、16分音符の9拍子というのは3連符で3拍子になる。リズムがスウイングして行き、後拍に重みをつけるとジャズの音楽と相関関係になる。ここでハ長調といえども、調性の感覚は12音音楽への指向が感ぜられる。
 ウイルヘルム・バックハウス1884.3/26ライプツィヒ生~1969.7/5ケルンテン州フィラッハ没は1912年米国デビューを果たし25~26年にはカーチス音楽院で教授している。その後28年してカーネギーホール公演1954.3/30で熱狂的な成功を博している。その直後唯一の来日公演をしているので作品111は日本でも披露されることとなった。彼は鍵盤の獅子王と呼ばれ、ベーゼンドルファー芸術家アーティストである。カーネギーホール公演も、クレジットこそ明記されていないのだが、その音色は紛れもない左手打鍵の重厚なものなのである。
 ベートーヴェンの聴覚障害は1801年前後を境にして進行している。「-ある事態のために、ぼくは長いこと人生のあらゆる幸福に対して懐疑を抱いていたのでしたがーそれが今となってはそれほどでもなくなりました。ぼくはあなたの愛を得たのです。おお、ぼくがそれをどれほど大事に考えているか、・・・おお愛するヨゼフィーネ、ぼくがあなたに心ひかれているのは異性へのつながりだけではありません。いや、ただあなただけすべての性癖までをふくめてあなたの全部を尊敬しているのです。-ぼくの全部の感情と、感性のすべてがあなたにとらわれているのです・・・(属さっか啓成 著作より )B氏のもとに来たのは1799年わずか16日間のレッスンだった。10年後に彼女は未亡人になる人生、身分違いのB氏には運命のようなものだと思われる。耳の疾病とか運命との格闘は、ふつうに彼の隣人なのだった。作品111は、その歴史を振り返り未来が見えていた音楽なのかもしれない・・・