千曲万来余話その652「ウエストミンスター寺院、少年合唱の神髄・・・」
先日ロンドンからの衛星中継ライヴ映像を観賞していて、知人から少年合唱の紹介は如何か?というメールを頂いた。国教会のセレモニーにはパイプオルガン演奏とか、少年合唱隊の音楽がその儀式の雰囲気をいやが上にも高めるという装置になっている。教会音楽の源流はイタリアルネッサンスにまでさかのぼり、そのビッグネイムの音楽家はジョヴァンニ・ピエール・ルイジ、パレストリーナ。ローマの南近郊40Kmの都市に生まれ1525?~1594ローマに没している。グレゴリオ聖歌という8世紀ころの単旋律音楽から発展して多声部音楽の登場に一役買っている。これらとは少し異なるヴェネツィアの華やかな教会音楽も発達、外向的、東西貿易で繁栄した自由な気風のサン・マルコ寺院では複合唱の音楽が発展した。二つ以上の合唱や合奏の音響体が対比するように音楽は造られている。「調和」のルネッサンスから、「対比」のバロック音楽へという歴史は、協奏曲の誕生へと変遷している。1613年サン・マルコ寺院楽長に就任したのが、クラウディオ・モンテヴェルディ。「聖母マリアの夕べの祈り」こそこの場に相応しい音楽といえる。
ASD653ナンバーの1965年プリント「クリスマス・トゥー・キャンドルマス」キングズカレッジ・ケンブリッジ少年合唱隊。デイヴッド・ウィルコックス指揮。今回のウエストミンスター寺院の中継を見ていると、合唱隊は30名余りが第一と第二コーラスに振り分けられている。教会の構造からして、通路を挟んで合唱隊が歌う形式。指揮者の左手側の第一と、わけ隔てて第二コーラスがレスポンス、英国国教会(聖公会)礼拝において、司式者の祈りや促しに対する合唱の答え、多声部での応答唱にあたる。トーマス・ルイ・デ・ヴクトーリア1540~1611、オルランド・ギボンズ?~1623、ウィリアム・バード 1543~1623少年合唱の音響というと知る人ぞ知る、楽園、天国のイメージへといざなわれる。澄み切った高音域の歌声、それを支える青年の低音域、教会の儀式はメールクワイアといって男性による合唱音楽、ソプラノやアルトの音域はボーイソプラノ、ボーイアルトが担当する。たとえば、ドイツの名テノール、ペーター・シュライアーは、少年時代にボーイアルトを担当していて、変声期を経過してテノールの音域に安定している。また青年男性がカストラートといって去勢手術を経て女声を担当していた時期もある。現在でもファルセットという裏声歌唱による「カストラート歌手」は活躍。
指揮者の指揮振りを観賞していると、彼は強弱の指示、テンポ速度変化の指示、歌詞のフレーズ、文章でいうと句読点の打ち込みを克明に指揮していることが分かる。小林道夫先生は、ハインツ・ホリガーの指揮振りを交通整理の手振りと喩えて、そこの楽譜に何書いてある?とか指摘してピアノとかフォルテの強弱を確認、つまり、指揮振りで強弱を指定していないということだった。どこか、今回の合唱指揮もそんな感覚があり、ピアノは小さく振りとかフォルテは大きく振るとか無関係で指揮していたことが印象的だった。すなわち、彼は教会の残響の処理が的確で、フレーズの収め方こそ指示の中心だったといえる。
パイプオルガンの響きの如く、ヴィヴラートという音の揺らしは皆無で、澄み切ったハーモニー、残響をも味方にしたコーラスは、歌詞の明瞭性を確保するために母音の統一や子音の目立たせ方、何より合唱隊の伸びやかな歌いぶりは、その会衆たちを荘厳、厳粛で非日常の世界へと体験させる。
この第一と第二の応答唱は、当然のことながら現代のオーケストラ音楽にも対応する概念なのだろうという思いを深く力強く、核心の境地を体験することになる・・・