千曲万来余話その641「ドビュッスィ「沈める寺」ギーゼキングは弾く聴く見晴らす・・・」
野菜ジュースを作るとき、決め手はセロリだよね!とは40年ほど以前に職場の先輩から聞いたひと言で、なるほどねと思いつつも、最近のスムージーでバナナミルクセーキなど作るたびに繰り返し思い出している。話にはグレードというものがあり、野菜ジュースは健康に良いよねなど会話で交わすたび、この人はどんな味で決めているものか?はてなマークがよぎるのだが、「セロリ」のひと言で、話し手の「格」を表すことになる。
4/4というとピアノ調律の日とかいわれる。「ラ」440ヘルツからくるという。4/9札幌キタラ小ホールで「エラール」「プレイエル」1906年頃製作の楽器を弾くリサイタル、盤友人がフランス製グランドピアノを鑑賞する初体験。ピアニスト岡田奏(かな)シューベルト第13番イ長調作品120、ベートーヴェン悲愴ソナタを「エラール」。後半はドビュッスィ水の反映とラヴェル水の戯れ、ショパンのバラード1番を「プレイエル」。楽器の音色は普段、耳にするものとは、截然とことなる。木質のピアノの音色が舞台に充満するかのごとき。「エラール」は明らかに作曲家と同時代の音色を伝えている。みやびやか「優雅」とはまさにこの音楽を表現するにふさわしい。シューベルトもベートーヴェンも「ウィーン」という音楽の都をイメージさせる。
それでは、音楽に「国境」は有るものか?という古典的な議論が有る。そんなものあるわけない・・・というのは、大多数の音楽愛好家の意見、見解になるだろう。盤友人は、疑問がある。日本人がフランス音楽を愛するのは、ごく自然だろうし、バッハ、ベートーヴェンのドイツ音楽を愛するのも不自然なことではない。「師走に第9」というのも「四月に桜」とほぼ同義語だろう。ところが、である。シューベルト、ベートーヴェン演奏の後に、ドビュッスィ、ラヴェルを聴くとピアノ音楽に対する作曲家の語法が異なることに気がつく。日本というと味噌汁が相応しいし、イギリスというと紅茶、ロシアというとブルガリア製薔薇ジャムロシアン紅茶とこうくる。それぞれにローカルという地方色が味わえてこその「飲み物」。すなわち、ベートーヴェンの「ソナタ」とドビュッスィの「プレリュード」は、ドイツとフランスのピアノ音楽の差異を味わえてこそ、妙味といえるのであろう。
ドビュッスィ1862~1918は、1910年頃に「前奏曲集第1巻」を作曲、6年間リリーとの結婚を終えエンマとの新しい生活を始めていた。12曲からなる前奏曲は、第1曲2曲10曲11曲のみ1910.5/25に初演されている。「第10曲沈める寺院」は、規模的に曲集中随一である。1954、55年頃録音されたワルター・ギーゼキング1895.11/5リヨン生れ~1956.10/26ロンドン没は、1953年讀賣新聞社招聘で初来日を果たし、4月6日札幌公演。バッハ、イタリア協奏曲、ベートーヴェン、テンペスト、シューベルト、即興曲作品90の4、メンデルスゾーン、ロンド・カプリチオーソ、ショパン、子守歌作品57舟歌作品60、ドビュッスィ、沈める寺、リスト、波を渡る聖フランシス。盤友人が生まれて1か月余りの頃でこういう歴史を知ることは、ギーゼキングの音楽をぐいぐい引き寄せて聴く「縁よすが」になる。ギーゼキングの両親はドイツ人、リヨンでは出生しているけれど、洗礼は受けていない。すぐニースに移り16年余りフランスのリヴィエラで生活していたとある。彼は恐ろしく記憶力を発揮して新作のピアノ曲でもそらんじて、楽譜を見ることなく演奏するといった逸話は有名である。ドビュッスィのピアノ音楽全集をEMI録音、これは晩年の録音といっても、60歳頃といった壮年期の演奏で、モノラル録音、よくレコード録音評で60~70点といった採点であったこと笑わざるを得ない。初期型のモノラルカートリジを使用して再生する時、ギーゼキングの宇宙はビッグバンで、彼のピアノ、弾くことは音を聴くことであり、音楽の頂いただきから見晴らすことである。「沈める寺」は、ピアノの最低音から最高音までくまなく披露していて海底から姿を現したカテドラルは、その宗教的存在の感銘を聴く人に、訴えてやまない・・・