千曲万来余話その639「フォーレ曲ピアノ五重奏曲1番という室内楽の精髄・・・」
フランス音楽は宮廷音楽に始まり、印象派の時代に至るまで杉の木のように繋がりがある。ロマン派のベルリオーズ、そしてビゼーなど絢爛たる音楽史があり、ドビュッスィの少し前にガブリエル-ウルバン・フォーレ1845.5/12パリ生~1924.11/4同地没がいる。家系が音楽家ではないものの少年時代、学校に付属した教会で楽器ハーモニュームを独学でひくようになった。1854.10月パリの音楽学校に入学、教会音楽、即興演奏を身につけた。10歳年上のサンサーンスはピアノ奏法を教授し、新音楽をも熱心に教えた。この関係で二人は師弟をこえた深い友情でむすばれることとなった。このニデルメイェール音楽学校時代から始まった作曲は、ピアノ曲無言歌、合唱曲ラシーヌ讃歌など1865年に作曲の一等賞を獲得して10年の勉学を終えた。
1870年普仏戦争に従軍、フランス敗退でスイスに逃れて第3共和国成立によりパリにもどる。フランス国民音楽協会に参加した。1876年にはVnソナタ1番、歌曲夢のあとになど作曲された。1883年38歳で彫刻家の娘マリー・フレミと結婚し2人の息子をもうけている。これを機会に、即興曲、舟歌、夜想曲などと一生を通じてピアノ曲が作曲された。この当時父親の他界などあり、レクイエムの構想を練り88年、マドレーヌ大聖堂で初演の準備していた時に母の死の知らせをうけとっている。1896年10月パリ音楽院作曲科教授に就任、ラヴェル、フロラン=シュミットらを輩出した。
1906年ピアノ五重奏曲1番作品89を作曲。後に1921年ピアノ五重奏曲2番作品115を完成した。始めの構想はピアノ四重奏曲3番であったものの、1891年構想時には、いざ手がけてみると、ヴァイオリンを一挺加えてクインテットの形態になった。2つのVn、アルト、チェロそしてピアノ。緩徐楽章が始めに書き上げられて、曲はモルト・モデラート充分に中庸のテンポで、アダージォ幅広く緩やかに、アレグレット・モデラートやや快速で、中庸にという三楽章形式。以前の四重奏曲にあたスケルツォ楽章を作曲していない。
エラート、フォーレ室内楽全集2、ピアニスト、ジャン・ユボー、ヴィアノヴァ四重奏団(Vnジャン・ムイエール、エルヴェ・ル・フロック、Altジェラール・コセ、Celloルネ・ベネデッティ)1970年頃録音。まず、ピアノの雅やかな音色にひかれるものがある。中低域にかけてスタイリッシュ、玲瓏でアルフレッド・コルトーに親しんだ琥珀色の味わいがする。ここで、弦楽アンサンブルも極めて精緻な演奏を披露、なによりヴァイオリンとチェロの二重奏部分はきわめつき、さらには、チェロとアルト(ヴィオラ)の雄弁な旋律に室内楽の醍醐味はあるだろう。第1楽章終止のハーモニーなど、チェロが主音できっちりと和音を決めている点など、このステレオ録音のキーポイントは有るといえるだろう。現代の多数派ステレオ録音では、チェロとアルトが上手に配置されて、第1と2ヴァイオリンは束ねられて下手配置。このレコードでは明らかに中央にチェロとアルトが演奏されている。つまりヴァイオリン両翼配置が実行された室内楽アンサンブル演奏になっているのである。
演奏者達からは、音楽というものの音は聞こえれば充分で配置は問われないという物言いであるのだが、それは、モノラル録音の前提だろう。ステレオ録音では、定位といって、左右と中央の位置感覚が歴然と感じられる。すなわち、左右の感覚は、現在では前衛と後衛の対の関係で決められている。左スピーカーからヴァイオリンとチェロ、中央にピアノそして右スピーカーからはアルトと第2Vnが整然と演奏されて、最適な配置でアンサンブルは構成される。このフォーレの五重奏でも、決め手はチェロとアルトが正面を向いているところに肝心かなめは有る・・・・・