千曲万来余話その637「モーツァルト曲ピアノ・ソナタ第16番という衝撃・・・」
2015年12月17日札幌キタラ小ホールで若手演奏家クリスティアン・ベザイデンホウトのリサイタルに足を運んだ。フォルテピアノ演奏会、すなわち、ピアノフォルテグランドピアノとはわけが違う。同じ鍵盤楽器でも、現代グランドピアノの前身、制作年代こそ現代でもチェンバロとピアノの中間に位置するいわば、古楽器、ちなみに「A」の調律は430ヘルツとされている。1950年代の国際会議では、標準「A」ラの音は440ヘルツと定められて、実際の開場では通常442ヘルツに調律されている。作曲家柴田南雄先生がご健在の頃NHKFM放送では、ヨーロッパ各地のパイプオルガンで「A」の音の比較を為されたことがあった。同じラの音でもピッチは異なり、それぞれの都市の楽器制作年代の違いによる微妙な音程の相違が理解されて、興味深いものであった。多様性である。フォルテピアノは、ハンマー仕様でありながら、楽器本体はチェンバロ程度であり、決してグランドピアノのような音量を発揮する楽器とは無縁。チェンバロは金属弦を、つま弾く方法なのだけれど、フォルテピアノは、音色こそ異なるがハンマーフリューゲルの少し後?位の時代差で、足のペダルは無く、膝でもって操作する構造になっている。確かに、鍵盤の数とか弦の長さとかモーツァルト活躍していた時代の音楽に迫る楽器といえるのだろう。現代のコンサートホールは収容人数2000人余りの会場は、M氏の時代にはありえなかったものだろう。このフォルテピアノの体験は、タイムスリップというか、モーツァルト体験の一つとして、印象的である。
ピアノソナタ第16番変ロ長調K570は、1789年頃ウィーンで作曲されている。クラヴィーアのための奏鳴曲、この音楽をギーゼキング演奏1953年8月録音のアメリカエンジェル盤で聴いたことが有る。ワルター・ギーゼキングは、新即物主義といって楽譜通りに演奏し、特段、アゴーギグ緩急法テンポの変更とかは注意深く避けていて、ダイナミズム強弱法もとくに強調することはない。つまり、ギーゼキングは活躍当時のネオロマンティズムで巨匠ヴィルティオーゾ風の演奏スタイルを否定する感覚で演奏録音を残している。ちなみに、盤友人の高校生時代指導された音楽の先生は、東京で豊増昇に師事していて愛読していたご本はギーゼキング著作になる、杉浦博訳白水社刊「ピアノとともに」であった。このギーゼキング、一定のテンポ速度、安定感抜群で揺らぎが無い。何も変化しない拍節でもって演奏しきる音楽、つまらないのではなく、モーツァルトの作曲した妙味に納得される。つまり、演奏する上で変化球を投げるでもなく、直球勝負の如くこのK570を聴いた後に受ける印象は、とてつもなく大きな宇宙を感覚する。これは、1970.8ニューヨーク、1974.11トロント録音になるグレン・グールドの演奏とは正反対の行き方なのだろう。すなわち、グレンは楽譜の読み込みの上で、緩急法を効かせてブレーキをかけたり、アクセルを踏み込む。ここが違う。そこで、ワルター・クリーンのアメリカVOX盤を再生すると、音楽のスタイルはギーゼキングのスタイルである。使用されているグランドピアノこそベーゼンドルファー。中高音域ではほとんど他のメーカーと区別はつかないのだが、左手の低音域が再生されるところでは俄然、楽器全体が鳴る深い音楽体験が待ち受けている。これぞ、「デモーニッシュ」という独語の世界で、特別な味付けをせずともプレーンなモーツァルトの世界を鑑賞することになる。
テレヴィでは「ピアノ演奏するとき楽譜通りではつまらない」みたいなピアニストの発信が繰り返し放送されている。「多様性」の現代において、この一方通行の情報発信に疑問を持たれる方も、きっと、多数いらっしゃることだろう、くわばらくわばら・・・