千曲万来余話その631「D・スカルラッティ曲ソナタ集、山羊座のピアニスト・・・」
12/22~1/19までの誕生日は山羊座、12/17に受洗しているベートーヴェンは射手座ということになる。この山羊座に宿すピアニストに、クララ・ハスキル1895.1/7~1960.12/7が居る。ひょいと山羊座生まれのピアニストを調べる。
Hリヒター=ハーザー1912.1/6ドレスデン生まれ~1980.12/13ブラウンシュヴァイク没
Aベネデッティ=ミケランジェリ1920.1/5伊ブレージア生れ~1995.6/12ルガーノ没
Aブレンデル1931.1/5チェコ・ヴィーゼンベルク生まれ
Mポリーニ1942.1/5伊ミラノ生まれ
Aケフェレック1948.1/17パリ生まれなどビッグネイムがズラリである。現在、ブレンデルはリタイア、ポリーニとケフェレックは現役である。
特にポリーニは1958年ジュネーブ国際コンクールで1位なしの2位獲得15歳での快挙、1960年ショパン国際ピアノ・コンクールに出場、審査員全員一致のグランプリ獲得、その後は研さんを積む生活で、1968年秋にロンドンにて再スタートするという経歴を持つ。盤友人は1978.4/5札幌・北海道厚生年金会館オールベートーヴェンプロで25番ト長調27番ホ短調29番変ロ長調ハンマークラブィーアの演奏姿を目撃している。当時イタリア首相誘拐事件があり、その影響としてステージには緊張感が漂う稀な経験となった。作品106では、紅潮したポリーニの熱気あふれる演奏に、ああ、ポリーニはベートーヴェンもかくやと想わせる孤高の芸術家なんだと、感動を覚えたものである。
クララ・ハスキルは畠山陸雄著作「神が地上に遣わしたピアノの使徒」によると、ユダヤ人迫害を避けて1942.11/7スイス入国許可証を受けジュネーブ定住を経て1949年スイス国籍獲得してヴヴェイに住まいを見つけたのは1952年7月。ディヌ・リパッティとの交流は続く。畠山氏のバイオグラフィでは、1950年9月ウエストミンスター録音で、モーツァルトの19番20番、ベートーヴェンの3番ピアノ協奏曲をHスヴォボダ指揮ウィンタートゥール交響楽団と共演10月、ドメニコ・スカルラッティ作曲ソナタ集11曲を録音している。そのひと月余りして12/2リパッティは逝去、今となっては、あたかもスカルラッティのレコードは一所懸命なハスキルの祈りに聴こえるようである。
このウエストミンスターWL5072盤、グリーンレーベルというオリジナルレコード、相場は12万円、盤友人は中古レコード店でマスターに色々な話をして、50%オフという商談は成立した。店主との付き合いは始まりおいしい輸入盤をかなり購入するきっかけとなった。その彼も鬼籍に入り15年近くになる。
ハスキルのレコードは再生してみると、残響豊かで購入した当時からその音色にひかれるものが在った。彼女のレコードを再生してピアノの音色が3通りほどあることに気が付く。グリューミオーと合奏したものの多数はスタインウエイ、彼女の晩年はベヒシュタイン、そしてこの1950年前後はベーゼンドルファーの音色がする。とにかく、クレジットには表記が無く、オーディオの深化による音色の判断によるものである。ベーゼンとベヒの違いは、左手の打鍵により楽器響板のこんもりした膨らみが感じられるのはベーゼンドルファー、時に見られる輝きある打鍵ではベヒシュタイン、そして一番分かり易いのは、倍音の高音域に向かう豊かな響き、スマートな割合の音響を聴かせるのはスタインウエイといえる。ちなみにディヌ・リパッティの多数はベヒシュタインの音色を記録している。
ドメニコ・スカルラッティ1685~1757はアレッサンドロの息子でナポリ出身、555曲ほどのチェンバロ演奏曲を作曲、ポルトガル王妃マリア・バルバラに献呈されたり、彼はマドリードの宮廷音楽家として晩年を過ごしている。同年生まれの大作曲家にバッハ、ヘンデルがいる・・・