千曲万来余話その629「バッハ、フランス組曲5番ト長調を豊増昇が楽譜通りに・・・」
テレビ広告コピーで若いピアニストが、ピアノは楽譜通りに弾くと面白くないので…繰り返し放送そのたびに、歴史を振り返ると違うのだけれど・・・と盤友人は心の中でつぶやいている。例えば、モーツァルトの曲など楽譜通りに弾いてもテンポを変え、しなを変えたピアニストにグレン・グールドが居る。実に面白いことは確かなのだが、その極北にギーゼキングのモーツァルト演奏はある。彼の楽譜通り弾いたのを聴いた後に覚える充実感は、「新即物主義」の筆頭面目躍如というものである。つまり、以前の巨匠風で時代的な演奏スタイルを拒否したピアニストがワルター・ギーゼキング1895.11/5仏リヨン生れ~1956.10/26ロンドン没なのである。
豊増昇1912.5/23佐賀生れ1975.10/9東京没(63歳)は東京音楽学校でレオ・シロタに師事、1933年本科首席卒業バッハプログラムによりデビューリサイタル、研究科に進む。1936年ベルリン留学F・リスト高弟のフレデリック・ラモンドに師事、パリ万博世界音楽大会に出演、以後欧州各地でリサイタル。1941年ベート―ヴェンのソナタ全曲演奏会を開催、最終日は12/8であった。1949年バッハのピアノ曲全曲の連続演奏会開催。1953年西独新バッハ協会より日本人唯一の会員に推挙される。1956年12/2、3ベルリン・フィル定期演奏会初登場フランクの交響的変奏曲、指揮者はヨゼフ・カイルベルト。
ノボル・トヨマス・プレイズ・バッハSKR1071キングレコードにはイタリア協奏曲ヘ長調BWV971、パルティータ3番イ短調BWV827も収録されている。1968年5月キングレード第2スタジオ(音羽)録音。
レコードは1977年に購入、今まで幾度となく聴いていたのだが、システムグレードアップにより、収録されていたベーゼンドルファーの音楽が生き生きと蘇り、今演奏されているが如き、再生の悦びを味わっている。楽譜通りに演奏している典型だ。まず、テンポ感が極めて清新で、軽やかな足取りである。ピアノの響きは、左手低音成分に方向性が有り、弾力感、はずみ、リズム感が楽器全体の鳴りとして再生される。これは、アナログ特有の再生音であって、この力感こそ醍醐味、この再生を目標にグレードアップを構築している。だから、録音スタジオの容積が感じられて、ピアニストがそこに力を集中、フレーズなど音楽の語法が噛みしめられて、咀嚼され、ヨハン・セヴァスティアン・バッハの愉悦が体験される。
フランス組曲5番ト長調BWV816は、アルマンド(ドイツ風舞曲)、クーラント(流れるようにフランス宮廷舞曲)、サラバンド(スペイン風優美で荘重な舞曲)、ガヴォット(2拍子フランス宮廷舞曲)、ブーレ(2拍子系速い舞曲)、ルール(田園風舞曲)、ジーグ(フーガ風)などこれらの曲がダンスのためにあり、身体活動は意識上で展開され、実際に舞踏を前提とする音楽になっている。それがピアノ演奏で成されているのであるが、バッハの当時は、鍵盤楽器はクラブサン、ハープシコード、イタリア語でいうチェンバロのために、作曲されていることに注意する必要がある。グランドピアノは、ベートーヴェン時代に拡張されたハンマーフリューゲルが、リスト、ショパンやシューマンの活躍する時代に確立されている。ということは、このレコードの演奏を大バッハは如何に耳にするか、興味深い問題である。それはさておき、モノラル録音されたレコード、雑誌録音評などで低ランクにされる傾向あるのだが、盤友人にとって、何不足することのない優秀録音としてこのレコードを鑑賞体験している。つまりその努力とは、音楽の再生にあり、音のためにではなく、音楽というダイナミックな時間藝術の再生にある。
身体を使うダンスを、精神上でのダンス、すなわち夢は宮廷城をかけめぐるというタイムスリップする・・・