千曲万来余話その625「運命、第1楽章でフェルマータを・・・」
12日曜日NHK-Eテレ、クラシック音楽館では全曲演奏されて、14火曜日夜9時ころにNTV系列オモウマい店弟子36人そば名人のBGMとして1時間ほど切り貼りされて「運命」が面白かった。ベートーヴェン1770.12/17(洗礼)ボン~1828.3/26ウィーン没は、ボン市のレミギウスに洗礼の記録が有ることから誕生日は、12月16日あるいは15日と考えられる。祖父はアントワープ地方出身で1733年頃移住している。父ヨハンは宮廷楽団のテノール歌手、次男ルートヴィヒが4歳の頃からピアノ教育を進めて1778.3/26にはケルンで演奏会、1784年には宮廷オルガニストとして正式任命されている。この頃、クリスティアン・ゴットリープ・ネーフェ1748~98はベートーヴェンにバッハの平均律クラヴィーア曲集などのほかにハーモニー和声とゲネラルバス通奏低音奏法の指導に当たっていた。最初の作曲指導者で選帝侯ソナタなどが成果。1787年ウィーンで彼の即興演奏にモーツァルトは強い感銘を受けたといわれている。1798年のネーフェの死去を受けてピアノソナタ第8番ハ短調作品13悲愴は作曲されている。
1808.12/22ウィーンで、交響曲第5番、6番田園が初演された。当時、ウィーンの貴族、ルドルフ大公、ロブコヴィツ公、キンスキー公達はベートーヴェンの庇護者として確実な年金提供することを申し出て、その条件はオーストリア都市の永住でありこの国を立ち去らないこととして、終身保証の契約関係が成立している。ただし、貨幣価値は下落していて、苦しい生活状況であったことは容易に想像される。12月22日の大音楽会は、財政的には失敗であったといわれている。ルドルフ大公との関係は特に良好で、作曲やピアノ演奏の師弟関係でB氏の死去にいたるまで年金を支払っていたのは彼だけである。
フェルマータというのは延長記号といわれ、音を長くのばし拍子の運動を一時停止させる。複縦線に付けられた時、終止記号となりfineフィーネと同じ、古くはコラールなどで歌詞の段落や区切りを示す。協奏曲ではカデンツァ、独奏が活躍に入る挿入個所を示す。大体、交響曲の1楽章では1つとか2つとか、例えば、ジュピター交響曲1788年8月10日作曲完成では23、211、313小節複縦線とか3小節で使用されている。ところが、5番交響曲第1楽章では、2、5、21、128、249、252、268、479、482小節で使用されていて、268小節目はオーボエ独奏旋律で2回使われていることから、全部で10回記入されたことになる。これは、特別な使用法であって、拍子を一時停止させることは、指揮者を必要とする前提に立つといえる。コンパクトディスクの世界では、「指揮者無し」の「運命」全曲演奏も有るにはあるのだが、作曲者の意図は、指揮者の存在を前提とした音楽であろうことは明白だろう。
12日曜日ヘルベルト・ブロムシュテット指揮したNHK交響楽団全曲演奏は、第1楽章389小節目に「全休止」を音楽としていたものなのだが、盤友人は、アルトゥール・ニキッシュ1913年録音を始めとして山田耕筰指揮、パウル・クレツキ1965年指揮録音LPレコード、そこに、「全休止」を記録していないと発信する。ちなみに、フェルマータの使用で第3楽章は8、18、52、284、254小節目という5回の記入、第4楽章では最後444小節だけ。
この最終場所29小節間で「全休止」は433、435、437、441、443という「5」小節で使用されている。音符はドミソという「Ⅰ」の和音だけという徹底ぶりであり、作曲する上での完全性を考える場合、124小節リピートする第1楽章は501小節と考えることは妥当であろう。すなわち、626という数字は不完全なのであって、「5」の4乗という625小節こそベートーヴェンの世界なのである。出版楽譜を基にして考えた、彼の音楽こそ、不滅なのだろう・・・