千曲万来余話その610「シベリウス曲交響曲2番、デッカ盤とEMI盤の対決・・・」
音楽の愉しみ方も多様であり、CDだLPだ、いや生が好いなどなど、音楽の記録をいかに味わうか?すなわち、カルーソーを聴くならSP再生がベストだろうし、フルトヴェングラーを聴くならLPレコード再生が望むべくもない。現在は圧倒的にコンパクトディスク再生の時代なのだろうが、どうしてどうして、真空管アンプでレコードプレーヤー、カートリジを求め、昇圧トランスのバランスに成功した時には、アナログ世界は無敵だろう。
人気ベストを取り上げると、シベリウスの交響曲2番ニ長調作品43、西の正横綱は、ジョーン・バルビローリ指揮だろう。ハルレ管弦楽団、1966年7月EMI録音。まことに演奏熱度が高く、表現主義ともいえる、隈取のかっちりとした恰幅のよい演奏スタイルで、バルビローリ1899.12/2ロンドン生まれ~1970.7/29ロンドン没は、1937年トスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の音楽監督、1943年まで続く。この後英国に帰り、マンチェスターに本拠のハルレ管弦楽団首席指揮者に就任、1968年に勇退している。バルビ卿は1970年大阪万国博に合わせて登場来日直前、帰天、多くのファンは涙をのんだことになる。当時、来日したジョージ・セルは公演を大成功に収め、帰国直後7/30に73歳で鬼籍の人となる。相次いだ訃報で運命は容赦なく大鎌をふるうとか、音楽評論家は投稿していた。昭和45年のこと、盤友人は高校3年生だった。
1964年頃のデッカ録音、エルネスト・アンセルメ指揮、スイスロマンド管弦楽団演奏を聴く。エルンストというのは、初めてのとかいう意味でいわば、太郎ぐらいの名前なのかもしれない。アンセルメ1883.11/11ヴヴェイ生~1969.2/20ジュネーヴ没は18年にスイスロマンド管弦楽団を創設、以来、66年まで音楽監督に就任していた。64年には単身来日、NHK交響楽団を指揮、68年には手兵を率いて来日、幻想交響曲を上野文化会館にて披露していた。このときパウル・クレツキも帯同していて、東京楽壇の話題になっていた。
アンセルメは、専門が数学で、パリのソルボンヌ大学に留学、09年には指揮者の決心をしてベルリンで、ニキシュとワインガルトナーというまったくタイプのとなる巨匠に助言を求め、10年にはモントルーで指揮者デビューしている。ディアギレフ・ロシアバレー団の首席指揮者も歴任、ストラヴィンスキー、ファリア、プロコフィエフなどの世界初演を数多く手掛けている。
シベリウス演奏を再生して気が付くことは、延ばす音の直線性が印象的なところにある。あたかも、キュービズムのパプロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの直線を想わせる、巧みな演奏に仕上がっている。 バルビ卿のややオンマイクな、管楽器やティンパニーの強調、弦楽器の表情付けの巧みさに比較して、アンセルメの指揮振りは、ワインガルトナー譲りの高潔で、感情的表現を避けていながらも、的確な強弱の描写にすぐれていて、アンサンブルも、たとえば、トランペット、トロンボーンとティンパニーの付点音符演奏のピタリと揃った演奏など、胸のすくところである。
デッカ録音は、遠近感が巧みに録音されていて、再生音も、左右の広がりというよりは、周波数の上下に広がるFレンジを聞かせる素直な録音である。1902.3/8ヘルシンキにて作曲者自身の指揮により初演されシベリウス36歳の頃である。つくづく、「若い」というのは、特権、若い人の活躍が期待されて不思議はない。
ところが、指揮者は不思議にも味わいが出るのは、年の功、バルビ卿もアンセルメ指揮も実に味わいが深い。作為を感じさせずに演奏を構築するヴェテランの味、なにも、個性を表に出さずとも、交響曲の時間は、雄大な浪漫の世界なのかもしれない…