千曲万来余話その591~「B氏チェロソナタ第1番ヘ長調作品5の1、女性か男性か・・・」
演奏家が女性であるのか男性であるのか?違いが現れるのはどこにあるのか興味深いものがある。それは音に現われるし、音楽にも違いが生まれるというと何やら差別問題に突き当たるおそれがあるだろう。たとえばベートーヴェン演奏家の大家としてエリー・ナイ1882.9/27デュッセルドルフ生まれ~1968.3.31トゥッツィング没ドイツ音楽の女神、ナポレオンの血をひきチェルニー門下のレシェテツキとリスト門下のザウアーの流れを汲む。女流ピアニストであり、その風格は比類がない。ただ彼女の致命的な弱点は1940年代の政治活動にあり広告塔的な存在として、扇動活動にあった。芸術家が政治にかかわることはその評価が歴史に判断される。たとえばアルフレッド・コルトーもその例にもれない。大戦後の彼女の不遇を考えた時に多大な損失と思わざるを得ない。
ナイの演奏の特色は「自然体」にある。何一つ特別な演奏をするわけでなく、ベートーヴェンが演奏している、そんな錯覚にさせられるから不思議である。チェロ奏者ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥッツィング没と共演した1956年頃録音のチェロソナタを再生したとき、ピアノは母親でチェロをB氏が演奏している、というような錯覚に陥る。ソナタ第1番ヘ長調作品5の1は彼が25歳の時に作曲されている。チェロソナタは青年期1796年の作品5で 2曲、円熟期1808年の作品69、後期1815年の作品102で2曲書かれている。1番と2番はプラハからベルリンへ足をのばした滞在中に宮廷楽団のチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールあるいは弟ジャン・ルイのために作曲しピアノを共演して、デュポールに師事していたチェロを弾くフリードリヒ・ウィルヘルム二世に献呈した。2曲ともアダージオを含むアレグロとロンドの2楽章制で堅実な内容の音楽に仕上がっている。1805年頃を境にしてB氏は聴覚障害に襲われることから、25歳の作品は彼が耳にした音楽といえるのだろう。
エリー・ナイのピアノ演奏に耳を傾けると楽器の音響に対して実に敏感で繊細なタッチで演奏していることが如実である。なおかつ、句読点がくっきりしていてフレーズの感覚が明快、あたかも、語り手が身振り手振りで朗読するがごときで視覚的にも面白味の深い音楽に仕上がっている。レコードはテレフンケン原盤を基にした復刻盤で、リマスター仕上がりのために低音の輪郭が甘く、中高域のエッジがいまいちの印象を受ける。ただし、全体を聴きとおして何の不足感もなく彼女と彼の芸術を味わった充足感はいうまでもない。
レコード番号BLE14081。
モノラル録音の再生になる。カートリジはヴィンテージでオルトフォンの黒ツノというあだ名の物で、一対のスピーカーが全体で演奏空間を再生する。チェロという楽器は指向性が極めてはっきりしていて、マイクロフォンに正対する印象は、きわめて、愉快。というとは、バーンスタインとかオーマンディーとかオーケストラの配置でチェロを舞台上手に揃えるものは、その楽器の正面に音が発信されるから、客席では横向きに音が飛んでいることになる。その配置でいうと、第2Vnの位置とチェロを交換されるのがVn両翼配置である。チェロの演奏は客席と正対するのがベストで、ヘルシャーの演奏など楽器の音色を整える感覚は絶妙であり、味わいが多彩なところを充分に満喫できるのが正対配置である。
エリー・ナイとの二重奏はフレーズ感覚の一致に魅力が有り、なにか対話を愉しむ演奏家同士のたたずまいが記録された極上のレコードといえるに違いない。ピアノとチェロのソナタという発想が以前にはなかった世界であり、通奏低音の楽器というものから独奏楽器としての地位を確立した革命的作品といえるのだろう・・・