千曲万来余話その590~「メンデルスゾーン交響曲イタリアをグィド・カンテルリ指揮でモノラル録音・・・」
夜10時頃天頂には北斗七星が春の大曲線を成してアークトゥールス、スピカが並ぶ。北東の低い高度にはベガ、低い北西には御者座のカペラが明るく輝いていて四月ならではの星空である。
昨夜、感染症対策を万全に施した札幌の交響楽団演奏会に足を運ぶ。ぺールトの弦楽合奏とチューブラベルのための音楽は、祈りの音楽でリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンなどの4分の1ほど時間的サイズ。澄み切った調べでアルトの定旋律が主導する。舞台上手奥から始まり第2Vnそして第1Vnからチェロへと渡される音楽は舞台下手のコントラバスが土台となって自然な音楽になっている。雰囲気醸成には好適な演奏で指揮者と楽員の信頼関係が密である。ベートーヴェンのVn協奏曲は、ティンパニの四打音から開始、作曲者のイメージした弦楽アンサンブル配置で演奏者たちも愉しんでいる様子がうかがえた。ただ、第二楽章で独奏とホルンの対話など、上手側配置こそ理想なのだろう。ただしメインディシュの交響曲の兼ね合いからそのようなのだろうと推察される。独奏者はストラッド1724年製をしっかり鳴らしパールマンやズッカーマン、ムローバなどを聴いたけれど今夜が最高と感激していた壮氏のオーディエンス、アンコールではバッハの無伴奏からサラバンドBWV1004ニ短調、ステージ上の楽団員もその圧巻の独奏を聴き入っていた。協奏曲のカデンツァのところで、コントラバスやチェロの首席奏者たちがストリングスを手で押さえていたのは、なかなかだ。
シベリウス2番、まさに、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団1960年録音通りの配置で演奏していたのは、流石なことだといえる。シベリウスの管弦楽法をさして、1970年代にある評論家は「劣っている」などと酷評したのを聞いた覚えがあるのだったが、それは、第1と第2Vnを並べる前提の話なのであって、Vnダブルウイングのとき、チェロとアルトが舞台中央で音楽する、Vnが舞台両袖でユニゾンするときなど、なんと効果的な配置なことか、かの評論家氏は前提条件の事を考慮していなかっただけの話、作曲者の意図する効果的な配置こそ、前提とすべきの話なのだろう。クライマックスでカラヤンはガクンとリタルダンドのギアチェンジを施すのが巧みなのだが、それはカラヤンならではの技術、その高弟氏もリタルダンドをかけてクレッシェンドするアラルガンドを採用で来たら・・・
グィド・カンテルリ1920.4/27伊ノヴァラ生まれ~1956.11/24パリ没は、43年デビュー45年からミラノのスカラ座で活動していた。48年にトスカニーニから後継者「まるで自分の様に指揮をする」とまで推奨されてNBC交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィルハーモニアオーケストラオブロンドンの指揮、56年スカラ座首席指揮者を務めるも飛行機事故で夭折。交響曲第4番イ長調作品90、メンデルスゾーンは、幸福な作曲家の代名詞、バッハのマタイ受難曲を発掘し蘇演していた。ロマン派音楽の旗手である。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団代表を歴任する等、多彩な経歴。カンテルリは1955年8/12、13.16とモノラル録音。きわめて爽やかな音楽に仕上がっている。フルートのガレス・モリスは金属製ではなく木管製楽器で吹奏、シドニー・サトクリフのオーボエと極上のアンサンブル、もちろんクラリネット、ファゴットなどフィルハーモニアの管楽アンサンブルは無敵の歴史を築いていたといえるだろう。ただ、8/18にはステレオ録音で「未完成」を完成していた。コントラバスはスピーカーの左側、デニス・ブレインのホルンは右スピーカー側に定位。光城精工の電源タップを採用して、音の「彫り」が一段と深くなり、その威力に魂消るたまげる。定位ローカリゼイションでいうと第1Vnと第2Vnの響き、漢字で云うと「人」のごとく、モノラル録音同様に左右のスピーカーから聞こえるのは極楽ごくらく、ごくらく・・・