千曲万来余話その588~「ラズモフスキー第1番、カペー弦楽四重奏団で聴く・・・」
1928年頃の録音となると、SPの復刻盤である。弦楽四重奏をSP78回転で聴くことは極楽といわれているがそれはなかなか叶わぬこと。LPレコードをモノラル針で再生するのはベターチョイスだろう。針を下して、すぐに胸倉をわしづかみされた気持ちになる。チェロのメロディーに、そのテンポの的確さと共にその音色、ふくよかな抑揚プラス、スウイングするような沸き立つ律動感、多分、ガット弦の持っている説得力が遺憾なく発揮されていることだろう。
Vnのルシアン・カペーは1873.1/8にパリで生まれ1928.12/18パリで亡くなっていてこれは彼の最後期の録音である。1896年にはラムルー管弦楽団のコンサート・マスター就任するもまもなく辞任し、独奏者として、また四重奏団のリーダーとして輝かしいキャリアを築き上げた。彼はボウイングの技術に秀で、巨匠セヴシックによる運指のテクニックと比肩すると評価される程であったといわれた。
最初期のカペー四重奏団は1893年から99年まで編成されている。1903年から10年まで、ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲演奏するなど古典派、ロマン派の作品と共にB氏の作品を繰り返し取り上げていた。この時から、モーリス・エウィット、アンリ・カサドシュ、マルセル・カサドシュたちと3度目のアンサンブルを立ち上げるも、チェロのマルセル・カサドシュは第1次大戦で戦死、その後エウィット、アルトのアンリ・ブノア、チェロのカミーユ・ドゥロベールたちと最後のアンサンブルを結成している。1922年にロンドン演奏旅行を大成功させ、カペーの生涯の終わりには、ベートーヴェンの作品59-1、74、131、132を録音させている。
B氏は作品18でもって6曲の弦楽四重奏曲を創作、作品59では3曲、74では「ハープ」というニックネイムつき、95では「セリオーソ厳格に」を作曲している。ラズモフスキー第1番ヘ長調は、第2番ホ短調、第3番ハ長調とセットで1806年に完成している。ラズモフスキー伯爵は有名な音楽愛好家で、有力なパトロンのひとり。
第1番は田園交響曲やスプリング・ソナタと同じ調性を持っている。その調性が、いかなる意味を持つかは、解釈が多様だろうけれど、不思議に、晴れやかな気分を持たせるのは、特徴的と言って差し支えない。ニ長調は明るい幸福な調性といわれていて、作品61ヴァイオリン協奏曲などその典型だろう。
モノラル録音であると、マイクロフォンに対して正対する再生音が経験される。だから弦楽四重奏で採用される、チェロ上手側には、違和感がともなうのを否定できない。第1Vnのすぐ近くに配置されて旋律を奏でたり、第1拍を演奏するのは合理的といえる。チェロに続いて、合いの手ともいえる第2Vnとアルト=ヴィオラの音楽は、第1ヴァイオリンと対称に配置されるのが理想というか、作曲者のパレットなのだろう。
カペー四重奏団の演奏を耳にしていると、優雅なテンポ、音色、対比の効いたフォルテとピアノの付け方、さらに、フレーズの受け渡しと収め方の自然さなど、古き良き時代をほうふつとさせる、というか、アンサンブルはかくあるべしという作曲者の音楽の理想郷なのだろう。この時代の後に、新即物主義というか、テンポのスマートさ追求とか、スタイルのモダン性などの採用の時代となって今日を迎えている。そんな中で、ルシアン・カペーの合奏を聴いて、ほっとするのは、現代という時代に対するアンチ・テーゼ、コロナ禍で厳しく現代人に問われている魂の平安を取り戻す答えが、ここにあるといえないだろうか?
パンデミックは終息するのにはかなりの時間がかかるといわれている。日常、ウイルスとの共存生活は、避けられない事態なのであって、当面、平常心が試されているのではないだろうか。カペーの生命力を頂く・・・