千曲万来余話その587~「ブルックナー無伴奏ラテン語によるモテット集の魅力・・・」

 有難うございました、という挨拶は無意識で使用される。ところが、「ありがたかった」という過去形はありがとうの過去形とは少し異なることに気を付ける必要がある。どういうことかというと、「御座いました」という過去形の意識は、言葉の意味によるとあれはありがたかったということの使用法であって、英語ではサンキュー、サンクed ユー「感謝した」というのとは別な意味になるだろう。英語的にいうならば、サンキュー ソーマッチ!ということで過去形とはならないのである。であるならば返答では「失礼しました」とか、あくまでも「ありがとうございます」なのだろう。
 「無意識の」という枕詞でいうと現代では、コーラスの配置はソプラノ、アルト、テノール、バスというが自然の成り行き。ところがである、オーディオ装置のグレードアップを図った次元では、無伴奏コーラスでは、女声が前列、男声が後列という配置が実現することになる。どういうことかというと、今では単層で横一列が多数派なのだが、LPレコードを再生して、ブルックナーの無伴奏モテット集を耳にしてその実体が再生される。
  管弦楽付きの合唱曲では、コントラバスに合わせて指揮者の右手側にバスが配置するのが多数であるのだが、無伴奏曲の場合ソプラノの後ろにバスが居て、アルトの後ろにテノールが配置されると、それで作曲者のイメージするセッティングとなる。
 アントン・ブルックナー 1824.9/4上部オーストリア、アンスフェルデン生まれ、9歳にしてリンツへ堅信礼で上京し合唱、オルガン、ヴァイオリンを修得、17歳で小学校助教の資格を修得し、21歳では聖フローリアン教会にて有給助教のオルガン奏者となる。オルガンの即興演奏を身に着けている。25歳で最初の大作は「レクイム、ニ短調」、31歳で聖フローリアン正オルガン奏者となる。リンツ大聖堂の予備試験通過して翌年教区聖堂のオルガン奏者就任。単純対位法、複対位法を学び、1861年にはモテットの「アヴェマリア」を作曲、39歳では交響曲ヘ短調、翌年には交響曲第0番、ミサ曲ニ短調などを作曲し44歳、交響曲第1番をリンツで作曲者指揮初演する。53歳では交響曲第3番「ワーグナー」のウィーン初演、非常な不評を受ける。1883年59歳で有名な第7番を完成しワーグナー追悼の音楽となっている。1896年10/11ウィーンにて他界、聖フローリアン修道院大オルガンの下に安置されている。交響曲第9番ニ短調は3楽章の未完成作品。享年72歳。
 シュトゥットゥガルト、フィルハーモニア・声楽アンサンブルのLPレコードを聴く。指揮者はハンス・ザーノテルリ。1979年頃録音。「パンジェ・リングァ」トマス・アクイナスによる聖体讃歌。「クリストゥス・ファクト・エスト」キリストは己を低くして、「ロークス・イステ」この場所は神が造りたもう、この場所は・・・はかりがたい秘蹟を申し分ない秘蹟を、 「オス・ユスティ」正しきものの口は知恵を語り、その舌は公義を述べる、その心には神のおきてがあり、その歩みは滑ることがない、アレルヤ・・・「アヴェ・マリア」・・・「ヴィルガ・イェッセ」エッサイの杖から芽が吹き花が咲き、乙女は神と人類を生んだ、神は我々と和睦して、いやしきものと崇高なるものを和解させた、アレルヤ!
 「ロークス・イステ」昇階唱、1869作この曲には盤友人の思い出として、フュッセンのノイシュバンシュタイン城「ワーグナーの間」で仲間と突然に合唱したことである。1992年9月M氏が指揮で許可をもらい歌ったものだが、ガイドさんは次に来た団体さんに対して「さて皆さんは、何を歌いますか?」と無茶振りして大いに笑ったものだった。
 「アヴェ・マリア」は始めが女声合唱になるのだが、これは明らかに前横一列を想定して作曲されたことは疑いないだろう。「ヴィルガ・イェッセ」では、ソプラノが「イン セー」と降りる音型で歌うのだが、その後でバスとテノールが加わる時、SopのうしろにBassが位置した方が純正調になるのは自明だろう。
 オーディオシステムで、ステレオ定位が認識獲得されたとき、作曲者の世界を体現したことになる・・・