千曲万来余話その580~「チャイコフスキー第1番ピアノ協奏曲、ワイセンベルクが弾くのは・・・」
先日、中古専門系列店のLPレコード箱を探していて、ワイセンベルクのLP2枚を、それぞれ50円の外税で購入。まったくキズの無い、磨くと新品同様の東芝レコードを再生してみた。スクロバチェフスキー指揮パリ音楽院管弦楽団でショパンのピアノ協奏曲集、ミスターSというと、ルービンシュタイン独奏でロンドン新交響楽団との名盤がすでにあり、気になるアーティストだった。S氏(録音当時43歳)の指揮振りは序奏の部分で弦楽合奏を充分に歌わせていてコントラバスに揺らぎは無く透明感に抜群の印象を与える素晴らしい演奏である。ワイセンベルクのピアノは華麗であり、スケール感あるダイナミックスレンジの広い、ショパンを一段と男性的に仕上げているスタイル。これが一枚55円というLPレコードの世界、オーディオという趣味でこれまで積み重ねた努力が実った至福のひと時となった。 なぜパリ音楽院管弦楽団との共演なのか? アレクシス・ワイセンベルク1929.7/26ソフィア生まれ~2012.1/8ルガーノ没はユダヤ系であったために44年イスラエルに逃れさらに米国へ移住。47年に国際音楽コンクールに優勝、翌年2月にセル指揮ニューヨーク・フィルと共演して華々しいデビューを飾っている。56年には活動を休止して研さんの時期に入っていた。1960年でクララ・ハスキルの伝記本には、パリの駅でワイセンベルクと出会っていて心臓疾患の彼女にベートーヴェンの第3番ピアノ協奏曲について手紙で自分の解釈とハスキルの弾き方を詳しく論じていたという部分がある。彼が31歳の頃である。ハスキルは1月に65歳で最後の誕生日を迎えていた。
パリ音楽院管弦楽団は1967年10月にマルロー文化相の肝いりで「オルケストル・ド・パリ」いわゆるパリ管弦楽団に改組されている。3/2ほどメンバーの入れ替えがあったといわれている。ショパンのピアノ協奏曲第2番は67.8/4~6、9/7~9、第1番は同年9/11~13にサル・ワグラム、パリで録音されている。 (引用レコードイヤーブック2014音楽之友社)いわばパリ音楽院管弦楽団最後期の録音に当たる。オーケストラメンバーは、管楽器が割合、移行するのに対して、弦楽部分は入れ替えが多数であったかもしれない。たとえば、フルート奏者のミッシェル・デボストは1962年から89年まで首席を務めていたことなどからそのように考えられる。そして録音データから類推して再生音から判断するに、ワイセンベルクのピアノの音色は、華麗というよりかは渋めで玲瓏たるものでコルトーの再生音に近い倍音を聞かせている。
カラヤンは1967.9/17ベルリンにてワイセンベルクとチャイコフスキーのピアノ協奏曲を初共演していた。ワイセンベルクは56年からの活動休止以来10年のインターバルを経てパリで再開、カラヤンとの共演はセンセーショナルであったといわれている。1970.2/9~11サル・ワグラムでパリ管弦楽団と録音。盤友人にとって長らく、カラヤン(録音当時61歳)がなぜパリ管弦楽団とのチャイコフスキーなのか? 疑問はつきまとっていたものだった。
ピアノの使用楽器のクレジットはほとんどの場合省略されている。フランス・エラートレーベルの場合は、意外にきっちりとクレジット表記されている場合が多い。だから、東芝レコードのショパンやフランス・EMIパテ盤などは音色に注意を払い、他の同時期LPを比較鑑賞して類推するほかはない。たとえば音色に気をつけるとベートーヴェンの皇帝などは明らかにスタインウエイのそれであり、渋さはプレイエルこそ勝って素晴らしい世界であるということは、スクロバチェフスキーやカラヤンも一目置いていたのかもしれない・・・