千曲万来余話その575~「オネゲル、クリスマスカンタータ名曲の誕生・・・ 」

 クリスマスに相応しい音楽として、バッハのクリスマス・オラトリオなどあるだろう。オラトリオとは聖譚曲で宗教的題材による大規模な叙事的楽曲、メサイア救世主ヘンデルの曲も有名。カンタータ交声曲とは17世紀イタリアで単声モノディ音楽から生まれ、独唱曲詠唱アリア、叙唱レチタティーヴォ、重唱曲、合唱曲からなる楽曲形式。ヨハン・セヴァスチアン・バッハにより多数の音楽が成立している。ミヨー、オネゲル、プーランク、オーリック、デュレ、ダイユフェールというのはフランス六人組のこと、第1次大戦前後のころ批評家アンリ・コレ1885~1951はロシア五人組になぞらえた。
 アルテュール・オネゲル1892.3/10 ルアーヴル~1955.11/2パリ没はスイス人両親のもとチューリヒやパリの音楽学校に学んでいる。ドビュッスィ、ラヴェルを好み、ワーグナー、R・シュトラウスに影響を受け、ベートーウェン、ブラームスを深く研究したということからわかるように、当時ウィーン楽派シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンと同時代にあって、主和音ドミナントおよびそのその解決間の相互作用という一貫する態度で作曲、その彼の白鳥の歌が1953.12/18パウル・ザッヒャー指揮バーゼル室内管弦楽団により初演された。ノエル聖夜の交声曲、「クリスマス・カンタータ」バリトン独唱、児童、混声合唱と管弦楽のための。
 ジャン・マルティノン1910.1/10リヨン~1976.3/1パリは1953年NHK交響楽団を指揮して初来日を飾り幻想交響曲の名演、再来日してストラヴィンスキーの3大バレー音楽、70年には日本フィルを指揮するなど親日家でもあった。明快、優雅、洗練というエスプリの効いた音楽を記録している。ここでは、フランス国立放送管弦楽団、合唱団(合唱指揮はマルセル・クーロー)、児童合唱(指導はジャック・ジュノー)、バリトン独唱カミーユ・モラーヌ、オルガンはアンリエット・ピュイ-ロジェ。1971年頃録音。
 不安感のあるオルガン独奏で開始、続いて弦楽合奏、われ深き淵より主をよぶ(合唱)、来たれエマヌエル、われら重き罪により泣けり、この声を聴き入れたまえ、天使(喜べ、いまぞイスラエルびとよ、エマヌエルは来たらん)、合唱(われらの罪と争いとを追い払い、われらの行く道を照らしたまえ)、バリトン(ゆめ恐れるな、汝らによき知らせ、大いなる歓びを伝えん、救い主は今生まれたまえり、幼子イエスは生まれたまえり)、いと高き所に、栄光あれ主よ、お暗き夜の闇に美しきバラは咲けり、古き世を救わんと生まれ出でたまう、アレルヤ、清き夜、聖なる夜、オザンナ。バリトン独唱いと高き所に神み栄えあれ、地には平和、善意の人々に平和あらんことを、父のみ神に、み子に清き御霊に、昔ながらの平安あれ、とわにアーメン。
 金管合奏による壮麗な音楽に、きよしこの夜、あるいは、1599年讃美歌フィリップ・ニコライのドイツ・キャロル高き天より(これはJ・S・バッハによるカンタータ140番目覚めよと呼ぶ声聞こえ)が大きなクライマックスを築いている。いったん鎮まり、力強いラウダーテ褒めたたえよの大合唱、アーメンで終わり、オルガンを伴って曲は宗教的おだやかな雰囲気のうちに、しずかにお仕舞い。
 当時、シェーンベルクなどによる無調の音楽が台頭する中で、オネゲルはあたかもバッハに還れとでも主張するかの如く、きよしこの夜と目覚めよと呼ぶ声が聞こえという音楽の交錯する作品を提示している。雪の舞う都会の雑踏の中でオネゲルの胸中は、ただ「祈り」をもって作曲する。音楽というのは、演奏されるとともに人々の心の中にこそ宿るという運命を背負っているのだろう。コロナ禍という最中にレコードを再生する貴重なひと時は、人生の中で、ささやかな平安である。読者の皆様の不安を思うとき、冬至を越してという聖夜の音楽は、受け継がれ鑑賞されるべき貴重な時間ではないのだろうか・・・・・