千曲万来余話その570~「チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番で第2楽章の主題と楽譜の関係・・・ 」

 レコードを収集していると、モノラル録音の世界はとても貴重な記録となっている。何よりピアノの音色は、そのレコードの特色とも云えるメーカーの違いに味わいがある。例えば、ベルリンで記録されたものではベヒシュタインではないだろうか?とかウィーンのものではベーゼンドルファーではなかろうか?などと好みの世界は広く深遠である。この段階に届くためには、オーディオの追究が必要条件である。まず、ピックアップともいう、カートリジをモノラル専用の仕様に変換が必要であり、ステレオカートリジで再生するより、宇宙の感覚が頼もしいものである。スピーカーの鳴り方にドライバー、ウーファー上下左右の一体感により、壁面全体に音響は拡大を見る。弦楽四重奏の場合など、下方にチェロ、その上にアルト=ヴィオラ、そしてヴァイオリンが上の方に聞こえるから整然として四つの楽器、演奏する音楽は克明な表情を帯びることになる。そのように、ピアノという楽器の場合、倍音の鳴り方により、スタインウエイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインの三者の相違は明らかにされる。
 ピヨトール・イリイッチ・チャイコフスキー1840.5/17ウドムルト自治共和国カムスコ・ヴォトキンスク生まれ~1893.11/6ペテルブルク没、母親はアレクサンドラ・アンドレエヴナ・ダシェ、フランス系の若く美しい婦人で音楽の影響を与えている。1850年ペテルブルクの法律学校入学、勉学の傍らコーラス、ピアノと理論を学び54年にはピアノ曲ワルツが残されている。59年卒業して法務省勤務、63年辞職、アントン・ルービンシュタインやニコライら主宰するロシア音楽協会に参加、ペテルブルク音楽院に入学、師はニコライ・ザレンパでチャイコフスキーが作曲家としての自信を確立している。最初の管弦楽作品は序曲嵐・テンペスト。オストロフスキーの戯曲による。1866年には交響曲第1番作品13冬の日の幻想を作曲し74年にはピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23を完成する。ニコライ・ルービンシュタインは全否定して演奏不能の批評を下し、初演は別な大ピアニストのハンス・フォン・ビューローに献呈されボストンで披露されている。ニューヨークでも大成功、12/30にはタネーエフによりモスクワ初演が果たされている。ニコライ・ルービンシュタインはその後自身の誤りを認めのちの当時最大の協演者になったといわれている。
 チャイコフスキーは生涯、モーツァルトの音楽を愛して管弦楽組曲第4番作品61モーツァルティアーナを作曲、アヴェ・ベルムコルプス聖体讃美歌を主題とする作曲をしている。1887.11/26作曲者自身指揮初演大成功。モーツァルト作曲フルート四重奏曲ニ長調の第2楽章は弦楽器のピチカートに導かれて、フルートが主題を吹奏している。ピアノ協奏曲第1番作品23第2楽章も同じアイディアであり、現在、それは大問題で独奏フルートの旋律、ティーターラティー、というメロディーなのだが現在の演奏会では、主題の旋律と異なる音楽を平気で演奏している。すなわち、使用楽譜に訂正が加えられていて、開始の音に戻る音は、上から降りるのが主題なのだが、独奏フルートのとき跳躍しないで下から上がるように演奏している。現行楽譜によるとそのようなのであるが、ステレオ録音の時代には多数派がその跳躍する主題とは別な音楽を吹いている。ステレオではフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団1955年録音が、主題と同じフレーズ演奏を採用しているしドイツグラモフォン1951年11/13録音レオポルト・ルートヴィヒ指揮ベルリン・フィルハーモニーでオレール・ニコレと予想される演奏も主題と同じ音型採用。
 1929年録音ハミルトン・ハーティー指揮、ハルレ管弦楽団、1940年録音のウイレム・メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルも主題と同音型採用のフルート。さらに、ウエストミンスターレーベルでヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦樂団のフルートも跳躍型でピアノはエディト・ファルナディ女史。ハーティー盤のピアニストはソロモン、メンゲルベルク盤はコンラート・ハンゼン。ソロモンはスタインウエイ、ハンゼンはベヒシュタインだろうと思われる音色、ファルナディはベーゼンドルファーの音色、モノラル録音盤世界の多様性こそあるべき姿で、金太郎飴現代の演奏はいささか疑問?といえるだろう。どちらが楽しいかである・・・