千曲万来余話その564~「モーツァルト、ピアノトリオト長調、モノラル録音で聴く室内楽・・・」
スピーカーという装置は、上下にドライバーとウーファーという中高音と低音再生の仕組みになるツーウエイ方式が左右一対である。モノラル録音というものは、カートリジも専用のピックアップを使用する。ステレオカートリジでも再生は可能なのだけれど、専用カートリジ使用して、より高品位の再生音を鑑賞できる。
ラインアンプ(プリアンプ)とパワーアンプの間にアッティネーターといって音量可変する調節器を組み込んでいる。このことにより、ラインアンプ出力との兼ね合いで、ドライバーとウーファーの鳴り具合に変化をもたらす。つい最近までアッティネーターを絞り気味、プリアンプをフルに調節していたのだが、ある人が、いやアッティネーターをフルに使っているんだという言葉を聞いて、それじゃ自分もしてみようというきっかけになった。アッティネーターを最大の手前まで開いて、プリアンプを抑え気味に調節してみたのだった。
結果は、なんと、今までドライバーという中高域が控えめであったのが、にわかに、鳴りだしているではないか、そのためにウーファーの鳴りっぷりにゆとりが生まれたかのようである。モノラルレコードで室内楽というと、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリンとチェロ、ピアノのアンサンブルからなっている。レコードを再生してすぐ気の付くことは、ピアノの音響がドライバーという中高域で、豊かに鳴っている。チェロの音色はウーファーで朗々と旋律を奏でていて心豊かになる。
アントニオ・ヤニグロのチェロとジャン・フルニエのVn、ピアノはパウル・バドゥラ=スコダ、1954年頃の録音で、モーツァルトのピアノ三重奏曲ト長調K564を聴いた。1788年10月頃の作曲になる。作曲者は32歳で交響曲は40番や8月には41番ジュピターを書き上げていて、充実の期間である。ピアノトリオ変ロ長調K254は1776年に書き上げていてそれを喜遊曲と呼んでいた。ト長調K564は第一楽章がト長調、第二楽章はハ長調の変奏曲、第三楽章は変ロ長調ロンドからなっている。第二楽章などを聴いているとテーマ主題が鍵盤楽器で演奏されて、弦楽器のVnやチェロが歌うように演奏を展開する。レコードを聴いているとつくづく、演奏家は音を出すのは、出す人なのだけれど、音楽を演奏していることを忘れてはならないことなのだろう。すなわち、単なる物音を鳴らすのではなく、楽音を奏でるということは、音に耳を澄ましながら音楽を味わう、だからより良い聞こえ方を求めるのがオーディオマニアなのである。よく、良い音とは何かと問われるのだが、ひとつの答えとして、演奏家が録音に込めた音を忠実に再生して、演奏家が耳にしたであろう音の情報を細大漏らさず再生したものを目指すということである。その判断の鍵は、楽音の中でも倍音成分の再生にある。これはむつかしいことに聞こえるのだが、簡単にいうと耳を澄ませて、楽音の鳴るその姿をイメージすることである。音波の全体の姿というのは、音響の全体、すなわち、楽音と倍音の両方をいう。余韻とういのは、楽器が音を切ったときのことをいうのだが、倍音は和音が鳴っているその全体像をイメージする。
ピアノという楽器は、その点明快でありながら、ヴァイオリン、チェロの旋律を演奏する歌謡性に一歩も、二歩も譲るところである。その全体がピアノトリオであり、1794年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは変ホ長調作品1で草稿初演を果たしている。オーディオの愉しみは様々であり、オペラやシンフォニーもあれば、室内楽の再生も大きな喜びである。
つくづくオーディオの愉しみは、小高い山の一つひとつであり、協奏曲というやもがあれば、ソナタ、室内楽という小高い山を登るのも、一つの喜びといえるのだろう・・・