千曲万来余話その563~「B氏Vn協奏曲ニ長調、秋の夜長に情熱のヌヴー1949演奏会ライヴ・・・」
演奏のスタイルは、時代を反映する。大戦後4年を経過してバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団演奏会のライヴ録音、指揮ハンス・ロスバウト1895.7/22~1962.12/29。彼はP・ブーレーズ指揮上での師でもある。
ジネット・ヌヴー1919.8/11パリ生まれ~1949.10/28サンミゲル没、幼少期から非凡な才能を発揮し7歳で公開演奏、パリ音楽院入学ジュール・ブーシュリに師事、11歳でプルミエ・プリ獲得し卒業、1935年ワルシャワで開催されたウィニャエフスキー国際コンクールでグラン・プリの栄誉に輝き次席入賞者はダヴィッド・オイストラフだった。15歳のヌヴーに、オイストラフは27歳で優勝獲得するはずだったのは、知られたエピソードのひとつで一躍脚光を浴びることになった。(オイストラフは名誉挽回ブリュッセル1937年イザイ国際コンクールで優勝!)
カール・フレッシュ1873生~1944没の門下生の一人。イダ・ヘンデル、ヨハンナ・マルツィ、シモン・ゴールドベルク、ヘンリク・シェリング、ティボール・バルガ、イフラ・ニーマンなど錚々たる演奏家の名前が続く。1938年にはベルリンデビュウを果たす。華々しい活躍、レコーディングなど伴奏者で兄のジャン・ヌヴーと演奏活動を続けるも、1949.10/28アメリカに渡る途中、搭乗していた旅客機はアゾレス諸島の山に激突、非業の死を遂げることになる。
彼女に残されたレコードは数少ないものの、どれひとつとっても情熱のほとばしる演奏ばかりで、他の追随を許さない緊張感の高いものばかりである。ベートーヴェンの協奏曲ニ長調は、ティンパニーの四つの打音から開始され、木管楽器のアンサンブルが続き、弦楽器の応答が独奏者の登場を招く仕掛けになっている。ある評論家は、あっ誰か来た・・・そして家に招き入れる作曲者が居て来客と会話が弾むようだと書いていた。第二楽章なと、のどかな晴れ渡った午後、しばらくして曇りのお天気になり、ぽつりぽつりと雨が降ってきたような雲行きになる。フィナーレはロンド輪舞、思い返しては心弾む高揚した音楽になる。ある人は、同じ旋律が繰り返される音楽に対して、「あれは良くないね」というか「下品」という烙印を押す人もいる。ただし非難するというよりは、彼らしいねという、温かみのある批判である。もっと上品にね・・・というのは、ないものねだりか?
冒頭で時代を反映する演奏という指摘をしたのは、2020年に聴くことのできるヴァイオリンの演奏は、大半がテンションが低い、情熱を内に秘めて表にしないという態度に終始するという感覚をいう。ヌヴーの演奏はギリギリのところで演奏を展開していて、その音楽は、バックの管弦楽団員の緊張感に影響している。レコードを再生して、すぐ感じられるのは、オーケストラの演奏の緊張感である。すなわち、天才的な演奏が展開される音楽は、ステージ上で化学反応をきたして、聴衆にまで影響を及ぼすのが記録されている。固唾をのむというのは、このようなライヴ演奏会であり、ロスバウトの気品ある指揮振りは、演奏に反映されている。それでは、バリバリの緊張感で硬直した音楽かというとさにあらず、柔軟なフレーズで、歌うような高揚感は繊細、かつ、柔和な表情を見せている。
現代の演奏はメッゾフォルテ、メッゾピアノの印象が前面に出ていて、決して緊張感を表面化するようなテンションで演奏しないかのようである。すなわち、アンチ・ヌヴー、アンチ・イダヘンデルの演奏の様である。これは前時代の演奏とは一線を画すスタイルをめざしている。盤友人は演奏会にも足を運ぶのだが、全く満足する演奏になかなか出会えない現実にがっかりしているのだが、私一人だけの印象なのだろうか?LPレコードのありがたさをつくづく印象付けられる秋の夜長・・・