千曲万来余話その556~「バッハ、シャコンヌBWV1004イダ・ヘンデルが弾くと・・・」
情報は知人からメールが入り6/30に亡くなられたという訃報で1998年来日時、キタラホールでラトル指揮バーミンガム市立SOによるブラームスの協奏曲を思い返した。サインを頂きミーハーぶりは恥じる事でもなく、貴重な経験である。
イダ・ヘンデル1928.12/15ポーランド・ヘウム生まれ、晩年はマイアミで後進の指導にあたっていたという。生年は定かではなく諸説ある。いずれにせよ卒寿を越して長寿、カール・フレッシュ門下三姉妹ヌヴー、マルツィ、ヘンデルという時代は過ぎ去りゆく。彼女の演奏スタイルを評して20世紀前半を伝えているというもの。アグレッシヴ積極果敢、パッション情熱的、メロデイアス歌謡性という三拍子揃ったヴァイオリニストは稀な存在だろう。最近の奏者達の脱力系スタイルには、アンチの感覚が透けて見える。アナログ時代を代表する名演奏は、オーディオマニアにとって福音であり、稀少な扇の的といえるだろう。
最近、ある知人からマンションに居てオーディオの追究には限界があるという、否定的な感覚を伝え聞いている。翻ってこのサイト読者達のオーディオ環境事情は・・・思いを巡らせてみた。確かに一軒家では大きな音量を愉しめるし、鑑賞時間にも自由はあるのかもしれない。ただ、オーディオの愉しみ方として、大音量は感覚がマヒしてしまうものでありそれは、一面的な愉しみに過ぎないだろう。音量を絞り、大きな編成の管弦楽曲も、ステレオ録音で定位ローカリゼイションを突きつめる追い込みをすると、楽器の配置に手ごたえが有り、会話するプレーヤー達の感覚が聞き分けられて、実に愉快である。すなわち、大編成管弦楽をあたかも室内楽風に小音量に絞り込んでも音楽が痩せないことにオーディオの愉しみはある。つまり、音量を絞りこんでも愉しめる醍醐味こそもう一つのオーディオスタイルだ。それには装置のバランスを巧く整えて特に、アンプの性能向上を図り、スピーカーのキャラクターを生かすグレードアップという道はあることだろう。
イダ・ヘンデルの演奏したストックホルムリサイタル1984の二曲目は、バッハ無伴奏パルティータニ短調BWV1004からシャコンヌ、1720年頃作曲ケーテン時代の雄大な独奏曲は演奏時間15分位の名曲である。バッハの曲をヘンデルが弾くというのは頭が混乱してしまうものだろうが、演奏する情熱が溢れていて聴きごたえがある。強弱の振れ幅は広く、クレッシェンドの力強さから息の長いディミュニエンドというしだいに音量をしぼるスタイルは印象的、精神世界の強靭さや、雄大さが刻印されている。不思議であるのだが、女性奏者でありながら気性を前面に出す気迫、微妙なフレージングという旋律の表情付け、楽曲の把握は並外れていて抜群の力量である。パルティータというものは、舞曲の組み合わせであり、その一曲、シャコンヌはパッサカリアと同義で17~18世紀の緩やかな音楽、葬送の音楽ともいわれている。気品ある演奏は感情の盛り上げから、仕舞い方など伸縮自在、安定感のあるテンポの設定は、格調高い音楽として余人の追随を許さない孤高のディスクに仕上げられている。
このレコードを聴いていて、気になることとして、楽器の音像がピンポイントでクローズアップされているところにある。多少の不満としては、マイクから楽器への距離感でオンマイクに過ぎるところがある。モノラル録音ですら、この距離感は味わいが有り、オンマイク過ぎるとつまらないもの、贅沢な不満ではある。これは録音技師の好みの問題でもあり、音作りとしてはSPレコードからモノラル録音LPレコードを沢山耳にすると違いが分かる世界であり、その経験の上でステレオ録音の定位が重要になる。Aチャンネル、中央、Bチャンネルという音響の不思議こそ・・・