千曲万来余話その553~「ベートーヴェン作曲チェロソナタ第3番イ長調、ジャッキーの姿が・・・」
先日、オーディオとは何のためにあるのか?と考えさせられる経験をした。イコライザーアンプを視聴、レコードの魅力を遺憾なく体感してつくづく、究極のアナログ体験ともいえるLPの魅力にしばし、席を離れることが出来なかったのである。隣に居た人は、これをCDで聴いたらどうなるのか?とか口走っていたのだけれど、デジタルとは無縁のアナログ世界経験なのであって、CDで、という仮定は成立しないことを理解しないといけない。聴いた音盤はチェロソナタ、ジャックリーヌ・デュプレ1945.1/26オックスフォード生まれ~1987.10/19ロンドン.の演奏するベートーヴェンのソナタ第3番イ長調OP69、ピアノはスティーヴン・(ビショップ)コヴァセヴィチ1940/10/17、ロスアンジェルス近郊生まれ(ユーゴスラヴィア系両親)との1965年EMI録音。
イコライザーアンプというものは、いわゆる、プリアンプを構成する入口部分で、カートリジというピックアップから昇圧トランスを通過した後で、プリアンプ部分の前半に当たる。この回路こそアナログ固有な世界であり、デジタルでは経験できないものといえる。ビギナーには理解するのに時間がかかることだろう。これは、EMTのレコードプレーヤーでは、アーム部分の次に直結されていて、139stといってお分かりになるのはマニアの世界、プリアンプに入る前段である。
ピアノとチェロのためのソナタをB氏は、作品5で2曲ヘ長調、ト短調、1808年頃作品69でイ長調、1815年作品102でハ長調とニ長調というように、調性は微妙に考えられている。
6/22に札幌市役所1Fで、中学校音楽の教科書を手にする機会が有った。その中で、「音の3要素」の記述に出会った。音量、音高、音色というもの。盤友人がその時代に学習したのは、「音楽の3要素」だったことを記憶している。律動、旋律、和音(リズムメロディーハーモニー)。ここで相違することは、「音楽」が「音」へと変わったことにある。すなわち演奏する行為から、構成する要素へという変化だろう。ここで素朴な疑問を覚えた。教科書全体の中で取り扱われている教材は、ベートーヴェン交響曲第5番、ラヴェル・ボレロとかヴェルディ歌劇アイーダという楽曲なのだ。すなわち、「音の3要素」という発想は、音楽史の調性音楽が十二音音楽という無調の音楽への展開を経て、ハーモニー和音の概念から「音」へという変化による影響が明らかである。「音の3要素」という発想から調性音楽の教材はミスマッチということで、音楽観の変化には注意が必要というものだ。それはあたかもオーディオでいうと、デジタルの世界への歴史展開が「アナログ」の世界をスルーすることと同じである。調性音楽やアナログの世界を無視することは、重大な欠落といえるのだろう。
デュプレ20歳当時の、ベートーヴェン演奏はそれ以前も耳にしていたレコードなのだが、イコライザーアンプの経験をして、刮目のレコード再生経験となったものである。だから、いい音、とは高音域とか低音域とかの現象ではあらずして、演奏者の気迫横溢した演奏を感じさせる音のことなのだ。それはあたかもベートーヴェンの名作の森、作品として作曲者の血気盛んな創作意欲発露としての音楽を、ジャッキーの演奏を再生する悦びは経験させてくれるのである。音でいうと、チェロの音の綾なす襞ひだ、倍音の充実にある。楽器の余韻も素晴らしく、倍音の充実感はアナログ世界の証だろう。ジャッキーの演奏活動は1972年頃までで、病魔「多発性硬化症」がおそうことになる。後はリタイヤ、15年ほどの療養生活、それにしても残されたものにとって、彼女の1961年から開始されたレコーディングキャリアを十全に再生する努力こそオーディオマニアにとっての慰めとなる。処女作にサンサーンス「白鳥」を記録していたことは暗示的とも・・・