千曲万来余話その552~「バッハ管弦楽組曲第2番、フルートは木製か金属製か・・・」
かなり以前のことになるけれど、最初に日管製品1.5万円ほどの洋銀製楽器を両親から買い与えて頂いたことが、盤友人のフルートとの出会いだった。中学校に入学して、迷いなく吹奏楽部に入り、トロンボーン、サックスなどすぐに音を出せたのは喜びだった。中でも、音はなかなかでないよ、と言われてもすぐに出せたフルートには、何か運命的なものを感じていた。誰にも習わないで、ところが、昭和47~48年頃NHK教育TVで吉田雅夫先生による「フルートとともに」は、眼を見開かされる経験をした。音程の確保という1丁目1番地を認識させられたものである。ここで初めてフルート演奏の基礎を修得することができた。吉田雅夫はカラヤンをしてNHK交響楽団首席奏者の時代、ドイツ音楽とフランス音楽を吹き分ける名演奏家という高い評価を与えられた草分け的存在、指揮者ジョセフ・ローゼンシュトックさんの時代に、ファリア三角帽子をリハーサルの時から本番まで演奏時間が乱れることは無かったと指摘していた言葉が印象に残っている。N響大黒柱の1人であったのだ。ちなみに盤友人が高校生の時、音楽の先生は武蔵野音大を卒業していて当時ローゼンシュトック先生が練習中にかんしゃくを起こしたとき、なだめ役は首席チェロ奏者の斉藤秀雄先生だったというエピソードを伝え聞いている。
いつまでも語り伝えられる話には、考えさせられることが含まれている。ローゼン氏の話は、オーケストラを指揮するテンポの一定感であって、並みの話ではないだろう。吉田雅夫先生は「フリュート」といつもフランス式に発音し、ピッチ、テンポ、音楽様式全般を経験された上でのテレヴィ講師だった。「アンブシュアー」吹き口の角度や、「アポジャトゥーラ」倚音いおんなどは楽譜解釈アナリーゼの上で必要不可欠の知識と云える。このTV受講は決定的な経験となったのだ。
中世からバロックにかけては「フラウトトラヴェルソ」という楽器の発達を見ている。指孔だけだった楽器もキーが付け加えられて、ヨハン・セヴァスティアン・バッハは「無伴奏フルートのためのパルティータ、イ短調BWV1013」など現代モダン楽器でこそ易々と吹奏可能な音楽でも、その当時1720年頃に作曲されていたということは、音楽の父、大バッハの面目躍如といえるものである。
電気の発明発見から近代と云えるのだろうが、フルートは木管楽器に分類されている。さて、盤友人は昭和52年にはムラマツ総銀製のフルートを購入、洋銀製の10倍ほどの価格であった。すなわち、現代ではフルートという楽器は1960~70年代にはジャン・ピエール・ランパルなど24Kのゴールド製品使用とか、今に続くジェイムズ・ゴールウエイ、エマニュエル・パユらの金製品楽器使用演奏家が多数派を形成している。ちなみに、1969年オレール・ニコレ初来日の頃、彼は洋銀製楽器使用を平気で演奏会に臨んでいた。
というようなことで、現代フルートの大勢は金属フルートの時代だといえる。あたかも、サキソフォンという木管楽器が本体は「金属製」という事情と並行しているだろう。ところが、エボニー黒檀製の楽器演奏家に英国人奏者ガレス・モリスが居る。フィルハーモニア管弦楽団首席奏者、オットー・クレンペラーの録音の大半を彼モリス1920.5/13クリーブドン生まれ~2007.2/14ロンドン没が演奏していたことになる。彼は、一歳年下のデニス・ブレインが挙式する時の付添人を務めた無二の友人である。1945.9/8ピーターズフィールドで花嫁はイヴォンヌ。
うまいフルーティストは星の数ほどいる中でガレス・モリスの演奏は稀少である。盤友人は20年ほど以前にフィリップ・ハンミッヒ黒檀製のフルートを購入した。歌口は吹き口という穴だけなのでヴィヴラートはほとんどかからない。合奏する時には他の楽器との倍音が豊かに響いて、金属製フルートとは喜びが異なる。バッハ管弦楽組曲第二番ロ短調BWV1067はフルートと弦楽合奏と通奏低音の編成である。楽曲はフランス風序曲に始まり、ロンド、サラバンド=スペイン風舞曲ゆるやかに流れる、ブーレ、ポロネーズ=もっとも有名で中間部はチェロと華麗で優雅な二重奏が演奏される、メヌエット、バディネリ=冗談風に軽やかで。クレンペラー指揮の演奏は風格が有り、決して技巧を前面にすることなく、じっくりと、フルートを吹奏させている。1955年頃録音によるモノーラルレコードでも、フルートの豊かな響きは、弦楽に埋もれることなくて、音量を誇る金属製フルートの上をいく味わいである。オーケストラでは、首席と第二奏者がエボニーでアンサンブルをする団体が無いのは実に不思議なことだなあ・・・・・
デニスとイヴォンヌの結婚式の時の写真。
1945,9,8 ピーターズフィールドにて。
左端は花婿付添人ガレス・モリス
右端はレナード夫妻