千曲万来余話その548~「ハイドン四重奏曲ひばり、4人だけのオペラという弦楽四重奏・・・」
エレアのゼノンは、半分を通過する時間は2倍を通過する時間に等しい、このように語っている。どういうことかというと、A地点とB地点の半分がC地点だとすると、C地点はAからBへ移動した時点で成立するまでだ。A地点からC地点まで移動する時、半分はその中間地点となるのである。
モノーラル録音を再生する時でさえ盤友人は左右のスピーカーで、上下にドライバーと500ヘルツカットのウーファーという一対、すなわち4本のスピーカーを鳴らしていることになる。此処で気を付けなければならないことは、左側が高音域で右側が低音域という構成には当てはまらないことだ。平たくいうとチェロはマイクロホンに正対していて、だから中央から聞こえるということだ。ところが、ステレオ録音は、初期のスタートは、左側にヴァイオリン、右側にアルトとチェロという具合に振り分けてその影響は現在まで続いている。盤友人は、1920年代演奏録音のジャケット写真を前提にして、クリングラー四重奏団をそのように判断する。すなわち、オペラの録音では左のスピーカーに女声だけ、右のスピーカーには男声だけというのは成立しない話だろう。その前提条件に疑問を持てということである。だから、クリングラー四重奏のように中央に低音域を集めて、左右にヴァイオリンを振り分けると、自然になるといえる。
ハイドンは第1Vnに、ひばりが歌うような旋律を与えている。隣に第2Vnがいるより、対面に存在した方がVnの旋律は明快になる。すなわち、チェロが居た方がじゃまにならない、それどころか、第1拍チェロの合いの手として第2Vnとアルトの対面する方が効果的だろう。
青空高くひばりを歌わせる方法はさまざまであり、金太郎飴のように、いつもいつもヴァイオリンを舞台下手に束ねる配置は、工夫が必要だろう。
情報媒体がいつも同じ情報を流し続けるクラシック音楽業界は、特に、現役の演奏は自由であるべきはずで、固定的に配置を設定することには疑問がある。
モノーラル録音の再生でもチェロの低音は中央、下の方に響くから愉快、愉快でたまらない、たまらないのは貯金かあ ?