千曲万来余話その545~「リスト、ピアノ協奏曲変ホ長調、楽器メーカー問題とリヒテルの実力・・・」
フランツ・リスト1811.10/22ハンガリー、ライディング生~1886.7/31バイロイト没は古今を通じてピアノの巨匠として高名、父がハンガリー人で母はドイツ人という家庭に育ち自身は、ハンガリー語をほとんど話せなかったと言われている。19世紀を代表するピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍。ヴィルトゥオーゾ超絶技巧ピアニストであり、時代の新しい潮流をになう代表的存在だった。作曲はサリエリ、ピアノはチェルニーに学び1832年にパガニーニのVnを聴き、ピアノのパガニーニを目指し猛練習開始する。33年にマリー・ダグー伯爵夫人とジュネーブに駆け落ちする。肖像画などに見られるリストはイケメンで美形で37年に誕生した次女のコージマはハンス・フォン・ビューロー夫人となり後にリヒャルト・ワーグナー夫人になったという逸話は有名なものだ。各地を転々と演奏旅行し10年以上続ける。ダグー夫人とは疎遠になり47年にはカロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会い作曲に専念するようにという忠告に従うことになる。1855年2月ワイマールにて作曲者自身は独奏を担当、ベルリオーズが指揮して初演される。第1番のスケッチは1830年にさかのぼり、第2番など22年の経過をみて演奏、その管弦楽法などユニークなアイディア、終楽章にトライアングルが鳴らされるなど話題作となる。
スヴャトスラフ・リヒテル1915.3/20ジトミール生まれ~1997.8/1モスクワ没はウクライナ出身のロシアを代表するピアニスト。19歳でオールショパン演奏会を成功させる。1958年チャイコフスキー国際コンクールでヴァン・クライバーン優勝をおぜん立てしたのは審査員だったリヒテルの功績といわれている。1960年5月東西冷戦の最中、西側での活動が認可される。日本盤の新世界レーベルでも分かることだが、シューマンとブラームスを1971年1枚ものLPでザルツブルク録音したとき、楽器メーカーのクレジットは別建てで2種類、すなわちスタインウエイとベーゼンドルファー使用の記載がなされている。すなわち、リヒテルは生涯を通してピアノ楽器メーカーのあらゆる使用を心掛けていた。ということは、彼の音盤ディスクを収集することで様々な音色を愉しむことになる。
スタインウエイは華やかな倍音を誇り、よく鳴る楽器として有名、レコードでは多数派の代表的存在である。ところがフィリップス1961年録音になるリストのピアノ協奏曲で使用されている楽器にクレジット表記は無い。再生して、ピアノの左手で打鍵される倍音の鳴りに特色を感じた時、ああこれはベーゼンドファーに違いないという確信をもつことになる。これこそオーディオの醍醐味、再生するよろこびともいえる。大多数のレコードがスタインウエイで録音されている中で、一際、異彩を放つのがベーゼンドルファーの低音域倍音の鳴りっぷりであろう。無論、中、高音域へと連なる楽器の音色は、何にも勝る作曲者リスト、独奏者リヒテル、そしてフィリップスレコード録音者の一体感こそ、再生の愉悦なのである。
前回、ボールト指揮LPレコードの録音年月情報提供を知人にいただいた。1958年3月ということはデニス・ロス録音に当たるのだけれども、レコード再生する価値に揺るぎはない。独奏楽器の華麗な音色、右チャンネルからの2ndVnの音楽、その集中力たっぷりな演奏に一層の思い入れを強くしたものである。録音年月日、場所、使用楽器のクレジットなど、商品としての必要条件であり、時代が経過するとともに明らかにされていく。
音楽のよろこびは、音にとどまることなく歴史を味わうという多様性にある。美とは生命、営みの目標ではあらず手段であることに気がつくか否か ? 時間を味わうところにあるのだろう・・・