千曲万来余話その538~「劇音楽ロザムンデ、W・ボスコフスキー指揮S・D、名演奏の条件・・・」
1823年12月テアター・アン・デア・ウィーンではシューベルト作曲による4幕物、合唱、ダンス付きの管弦楽作品が紹介されていた。作者のヘルミーナ・フォン・チェツィーはウェーバー作曲歌劇オイリアンテの台本を担当していた。
序曲にはアルフォンソとエステレッラ、管弦楽による華麗な開始の音楽にふさわしい。その管楽器合奏は、あたかもリヒャルト・シュトラウスの半世紀前を予告しているがごとくであり、弦楽合奏部分はいかにも劇場作品として似つかわしいもの、ここでは、管弦楽の醍醐味の洗礼を受けることになる。
ウィリー・ボスコフスキー1909.6/16~1991.4/21は、1939~70年の31年間ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを歴任している。1955年を最初にして、最後にニューイヤーを指揮したのは、1979年のことだった。ベルリン・フィルのミシェル・シュヴァルベ1919~2012はスイスロマンド管弦楽団から1957~77年の20年余りベルリン・フィルのコンサートマスターに就任していたこととパラレルの関係といえるかもしれない。ボスコフスキーは1963年9月にNHK交響楽団を指揮していた。
ヴァイオリン奏者でありつつ、フルトヴェングラーやカラヤンの指揮のもとでコンサートマスターの座席にいた彼は、自然にオーケストラを指揮していくことになる。ニューイヤーコンサートのみならず、1978年コピーライトのEMIレコード、シューベルト作曲、劇音楽ロザムンデは、シュターツカペレ・ドレスデンが演奏している。
ザクセン国立歌劇場管弦楽団という、以前からの歴史をたどると、1584年創立、選帝侯モリッツが発足させた宮廷楽団。1671年ハインリッヒ・シュッツがカペルマイスターに就任。55年間の長きに渡り楽団を指揮、1817年にはカール・マリア・フォン・ウエーバーを迎え、1822年には「魔弾の射手」を初演している。1824年ゼンパー・オーパー、ザクセン宮廷歌劇場が創建されている。1945年連合国軍の空爆により破壊された。戦後1985年に歌劇場は再建されてノイエ・ゼンパー・オーパーとなる。1991年東西ドイツ統一後、ザクセン州立シュターツカペレ・ドレスデンと改称された。
歴代の音楽監督として有名なのは1843~49年リヒャルト・ワーグナー、1914~21年フリッツ・ライナー、1922~33年フリッツ・ブッシュ、1934~42年カール・ベーム、1945~50年ヨゼフ・カイルベルト、1949~52年ルドルフ・ケンペ、1953~55年フランツ・コンビチュニー、1955~58年ロブロ・フォン・マタチッチ、1960~64年オトマール・スイトナー、1964~67年クルト・ザンデルリンク、1975~85年ヘルベルト・ブロムシュテット・・・
だいたいのオーケストラは音程も正確にフィットしているのだが、ドレスデン・シュターツカペレは格別である。ウィーン・フィルとS・ドレスデンは純正調のアンサンブルを聞かせる双璧、何が違うかというと、歴史だろう。ウィーン・フィル創立は1842年だから、ドレスデンはその倍近い歴史であり室町時代の世阿弥、英国はシェークスピアの時代からの伝統である。
ロザムンデを聴いているうちに、管楽アンサンブルの並ではない音楽に心奪われる。マイクロフォンのつき辺りその手前に、弦楽合奏が展開するわけでシューベルト作曲の劇音楽は、ロマン派の音楽を予告していて嬉しい気がする。78年コピーライトからアナログ録音の晩年を知らされるレコードといえる。音の伸びやかなこと、音圧の豊かなこと、イレアナ・コトルバスによるソプラノ独唱の柔らかさ、男声合唱の生き生きした喜び、混声合唱(ライプツィヒ放送合唱団、コーラスマスター、ホルスト・ノイマン)による平和な人々の歌に充実した時間を愉しむ仕合わせは何物にも代えがたい。ボスコフスキーがドレスデンを指揮した一期一会・・・