千曲万来余話その536~「R・シュトラウス四つの最後の歌、エラート盤による名録音・・・」

 アナログ録音の再生する歓びの一つに、音場の空気感がある。確かに録音上でのテープヒスなど、含まれてはいるのだが、空気には酸素もあれば炭酸ガスもあり、その時の録音にはノイズも合わされるのだが再生の上では、要はシグナル信号のバランスであって、耳の注意はノイズにとらわれることなく演奏を楽しむことになる。音にではなく音楽に集中することにより、録音再生の目的は果たされるのだ。そんな経験を、フランス・エラートのLPレコードを再生して経験する。
 録音技師はピエール・ラヴォア、1976.9/77年ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団、指揮アラン・ロンバール1949.10/4生まれ、ソプラノ歌手モンセラット・カバリエ。
 ロンバールはフェレンツ・フリッチャイに師事して1961年リヨン歌劇場グノーのファウストにより正式デビュー、11歳にしてベートーヴェンの7番を指揮したというエピソードの持ち主。このリヒャルト・シュトラウスの曲を指揮する上でも彼の特性は発揮されている。弦楽器はしなやかに演奏され、艶が有りよく歌われている。管楽器は音程がピタリと合っていて間然とするところは無い。アナログの長所であるコントラバスの音の上に、チェロ、アルトはよく溶け合っていて倍音が、生かされている。
 モンセラット・カバリエの歌唱力は、音程が正確で艶が有り、広い音域を見事に表現している。1933.4/12バルセロナ出身。
 R・シュトラウスは1946年1月メタモルフォーゼン、2月オーボエ協奏曲の初演後、47年後半には最後の管弦楽作品としてクラリネットとファゴットの二重協奏曲を作曲している。晩年はスイス・バーデン、チューリヒやモントルーなどホテルでの生活を転々としている。そして非ナチ化裁判では無罪の認定を受け、裁判費用は国家負担が決定される。当時70歳のヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞を受賞するなどしている。シュトラウスは、シェーンベルクやヒンデミットは単に音を並べているだけであんなのは音楽じゃない、などとウィリー・シュー伝記作家に愚痴る。以前からの歌曲夕映えの中で(アイヒェンドルフ詞)のオーケストレーションに取りかかり、1948年5/6モントルーでオーケストラ譜を完成。春7/18、眠りにつくとき8/4、九月9/20を同じく完成している。ちなみにこの三曲はヘルマン・ヘッセの作詩による。
 1950.5/22ロンドン・アルバートホールで、フルトヴェングラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ソプラノ歌手キルステン・フラグスタートにより初演されている。フラグスタートは「眠りにつくとき」で曲を開始「九月」「春」を歌う時は高音を下げるなどしている。終曲は「夕映えの中で」。「九月」のお仕舞いに四小節ほどホルンの独奏があるが、デニス・ブレインが受け持っていた。二番ホルンは父オーブリー・ブレインが担当、オーブリーは5/25の演奏を区切りにリタイヤしその後は教授活動、放送録音などに進んでいる。
 ブージー&ホークス社のエルンスト・ロートは楽譜の出版に際して、春、九月、眠りにつくとき、夕映えの中で(献呈者E・ロート)という曲順に設定している。なお、歌曲「あおい」1948.11/23作曲というものがあるが題名は「フォー・ラスト・ソングス」になっている。
 管弦楽譜作曲当時、経済面でホテル代を出版社が持つなどという状況にあったが、非ナチ化裁判で名誉回復などが実現されていて、作曲意欲も最後に遺憾なく発揮されて、精緻な管弦楽法が見事な作品に昇華している。
 広やかな 静かな やすらぎ! かくも深き 夕映え(アーベントロート) さすらいにも飽き果てた これが 死というものか ?(詞ヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)・・・