千曲万来余話その534~「シューマン交響曲第1番、春を指揮したアーベントロートの幸福・・・」
弦楽合奏部分でクレッシェンド次第に強めるとき、演奏は速くなりがちである。そこのところ、じっくりとテンポ感を抑制する指揮者の名人にセルジェ・チェリビダッケがいる。彼は初代ベルリン放送交響楽団首席指揮者1945~46である。1946~50はアルトゥール・ローターで三代目はヘルマン・アーベントロート1950~56である。彼は1955年9/28にはライヴ録音としてシューマンの交響曲春を記録している。H・アーベントロート1883.1/19フランクフルト生まれ~1956.5/29イェーナ没はモノーラル期の名指揮者、1905年リューベックでデビュー、1911年エッセン1914年ケルン1934~45年ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、大戦後ヴァイマールに居住して名誉市民になり49年からライプツィヒ放送交響楽団、ヴァイマール国立管弦楽団、ベルリン放送交響楽団(東ドイツ)の首席指揮者を兼任、ライプツィヒ音楽院院長、ヴァイマール高等音楽院の校長を歴任していて教育者としての立場にあった。1929年2/7ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベヒシュタイン奨励演奏会でアーベントロートが登場している。
1883年生まれにエルネスト・アンセルメ、3歳年下にウィルヘルム・フルトヴェングラーがいてチェリビダッケ1912.6/28~1996.8/14は生前にテープ録音された音楽を許可しなかった。ライヴ録音は死後に解禁された記録音楽であり、アーベントロートも積極的にレコーディングする指揮者ではなかったようだ。ただし放送録音は残っているので、その恩恵にあずかるのはレコード収集家にとって福音である。
チェリビダッケの哲学は明快で、演奏行為こそ音楽であって記録されたものを認めない芸術家で1993年ミュンヘン・フィルハーモニーと札幌厚生年金会館に登場、シューマン第4交響曲、ムソルグスキー=ラヴェル展覧会の絵を指揮している。盤友人はいそいそと楽屋まで出かけ行き、チェリからサインを頂いている。その当時の彼は気安く対応してくれていた。その時の強烈な印象として、彼の指揮ぶりは、一切無駄がない動作で完璧に演奏のテンポと強弱を管理した見事なもの。弦楽器の輝きある音色は鮮烈でそこのところ、アーベントロートの演奏と共通している面がある。
アーベントロートはオーケストラに対して、管理するタイプではなかったようで、メンバーから厚い信頼を獲得していたといわれている。トランペットの演奏など、風格あるものに仕上がっていて、威厳があり格調の高い音楽で、ドイツ的というとそれまでだが、ゲルマン民族の統一感ある演奏はいかにも狩猟民族で、農耕民族としての日本人の演奏とは一線を画している。それはリズムに全員の統一感が有り、日本人にとってなかなかむつかしいところである。瞬発的な行動より、のんびりとそれぞれに任せたスタイルが農耕の実態で、舞踏ダンスというより日本人のは舞、仕舞い所作というリズムの取り方である。
演奏風景の写真からアーベントロートは第1ヴァイオリンを左手側に配置、右手側にチェロ、コントラバスを配置する。だから、シューマンの録音を耳にするとき、モノーラルではあるけれど、Vnのアインザッツ音の入り方と、コントラバスの音響には、距離感がある。オーマンディやバーンタインの採用する楽器配置も共通していて、第一と第二Vnは、よく揃っているけれども合奏体として低音域の楽器とは音響が溶け合っていないうらみがある。それが、音楽とは無関係なのか?
実は、シューマンの交響曲などと密接に関係した事実であろう。すなわち彼の作曲法は、イメージとして舞台上の位置関係が重要なところがある。それは合奏リスク上のハードルが高く、指揮者の選択肢として少数派しか、その感覚を共有し得ない・・・