千曲万来余話その533~「ブラームス作曲チェロ奏鳴曲第1番、ジャッキーを思い出すたびに・・・」
第92回にしてオスカー、作品賞はパラサイトが受賞する運びに展開を見せた。サウスコリアのポン・ジュノ監督は、これから朝まで飲むよと公言してその歓びを爆発させた。アジア映画が初めて米国映画祭のグランプリを獲得した歴史の一齣である。格差社会を具体的に描写して、それが認められたということは、意義深い。映画が描き出す人間社会は、モーツァルトがフランス革命、市民革命で引き起こされた階級社会のテーマをコメディーとして描いた歌劇フィガロの結婚という、クラシック音楽の世界とも共通している。韓国がアメリカナイズされていて、社会描写が受け入れられたことに他ならないのだがただし南北問題自体はその上で、ファクト歴史認識を共有すべきという高いハードルが有り、ドイツの東西統一のごとく、連邦制度を生かした民主主義の理想を実現しなければならないことだろう。
民族問題は相互の共通認識の上での成り立つものだから、解決の展開は複雑多岐が予想される。サッポロという都市を考えてみても、赤レンガは観光スポットの一つなのだが、確かに多数の市民にとっては北海道開拓の歴史として精神的シンボルのよりどころであろうが、よく考えるとこの地名は、アイヌ語である。開拓という事実は、アイヌと和人たちの歴史を知らないことが危険であるということに気がつくことを必要とするのだ。
ブラームスという名前自体、ブラーマという姓名由来が非欧州の出自を意味していることに気づく。彼は様々な歴史の上に、由来が成り立つ作曲家なのでありハンガリア舞曲集などは、そこのところ明快だろう。
チェロソナタ第1番ホ短調作品38、これは作曲者が1865年32歳頃の作品で、ヨゼフ・ゲンズバッヒャーに献呈されている。三楽章形式で、第一楽章アレグロ、あまり過ぎずに、第二楽章アレグレット、メヌエットのように、第三楽章アレグロ快速に。
ジャックリーヌ・デュプレ1945.1/26オックスフォード生まれ~1987.10/19ロンドン没は12歳でBBC演奏会に出演、正式デビューは、1961年ロンドン。エルガーの協奏曲録音により国際的評価を獲得、指揮者はジョン・バルビローリ卿、サージョンもチェリスト出身であったというのは興味深いものが有り、映像でもうかがえるのは幸いである。彼女が操る楽器は二つあってその一つは1712年製ストラディヴァリのダヴィドフ、残念ながらこの奏鳴曲ではクレジット不記載になっている。ピアニストは彼女が21歳で結婚した夫君ダニエル・バレンボイムで、LPコピーライトは1968年、ところがジャッキーは26歳で多発性硬化症にかかり、1973年28歳で引退を余儀なくされている。1987年42歳にて病状悪化により夭逝。 ジャッキーは情熱的な演奏を記録していて、豊かな音量、名技性は遺憾なく発揮されている。現在のチェリストたちは、そのスタイルを避けるかの如く、否、あえてそのスタイルとは決別しているのだろう。昨今一部の演奏会では、テンションを上げることなく、冷静、客観的な演奏を目指しているかの如くである。それは、彼女が第二次世界大戦直後の誕生という、時代の反映と異なることなのだろう。すなわち、そのスタイルは戦争と平和という時代の申し子、現代はそれ以後の世代といえる。たとえばパブロ・カザルスは、鳥の歌、ピースピースと鳴くカタロニア民謡の世界の人であり、彼女はその教え子たちの一人ということである。
映画パラサイトでは、チェロがシニカル冷笑的に取り上げられるシーンがあり、ジャッキーがチェロを演奏する必然性と一線を画している。クラシックは上流階級をシンボリック象徴的に代表するのも事実なのだが、ジャッキーには、運命の叫びを聴くのが盤友人だけではないであろうこと、このサイトを開く皆さまにはお分かりのことと思われる・・・