千曲万来余話その530~「シューベルト、ロンド・イ長調エディット・パイネマンによる貴重録音・・・」
不思議ではあるのだが、名演奏家には楽器、名品と出会いエピソードを語られることが多い。エディット・パイネマン1937.3/3マインツ生まれは同市オーケストラのコンサートマスター、ロベルト・パイネマンを父親として、4歳の時からヴァイオリンに親しんでいるという。ロンドンに留学してマックス・ロスタルに師事した。1956年ミュンヘン国際音楽コンクール、19歳で優勝。1962年には指揮者ウィリアム・スタインバーグが独奏者としてピッツバーグ交響楽団に招きアメリカ・デビューを果たしている。その後ジョージ・セルが独奏者にパイネマンを抜擢してドヴォルジャークの協奏曲で大成功を収めている。そのセルは、1964年ケルンでエリカ・モリーニの代役としてパイネマンがベートーヴェンの協奏曲を演奏して、そのコンサート後のパーティーで彼女により良い楽器の使用を勧めた。5本の名器、ストラディバリ、グァルネリの中からチューリヒのホールで試奏させて、セルが選んだものは1732年製のグァルネリだった。それがパイネマンのものとなり、その後の演奏に使用されることとなったという。
1987年5月19、21日自由ベルリン放送第3ホールにて、レオナルド・ホカンソンを伴奏者に迎えて、シューベルト、ドヴォルジャーク、モーツァルトの作品が録音される運びになった。レオナルド・ホカンソンはバリトン歌手ヘルマン・プライの伴奏者として有名で、ということは、ソリストというより伴奏者として主に活動していた名手。
シューベルトの作品からロンド、イ長調ドイチュ番号438、幻想曲ハ長調D934を録音している。この録音を再生すると、グランドピアノは左右のスピーカーの中央にしっかり定位していて、パイネマンのVnは左スピーカーに再生される。これは、明らかにステレオ録音として重要な要件といえる。すなわち、時として独奏者は、奥にピアノを配置してそれを背中に立つ場面が予想されるのだが、パイネマンの録音は左と、右のスピーカーのピアノの対話が象徴的に体験される。それはあたかも、ピアノは作曲者自身を表し、Vnの歌は愛を告白される彼女のように思われるのである。すなわち、ベートーヴェンの十曲のソナタでは、作曲者と独奏者の芸術の相克のように聞こえるのであるのだが、シューベルトの世界では、それ、ピアノとVnの対話がインティメート親密性をもって、青春の輝きそのものなのである。音楽自体は、愛の囁きなどと表現すると、まるで歌謡曲の次元の話に聞こえるのだが、そこはシューベルトの世界、芸術性の高い別次元の音楽といえる。それは、恋愛の喜びに始まり、更に展開すると近代人の直面する「存在する不安」とでもいえるテーマの音楽が聞こえてくる。幻想曲は、歌曲ザイ・ミア・ゲグリューストゥ! 挨拶を贈ろう、よろしくっ ! の旋律による変奏曲に仕上げられている。
パイネマンの演奏は、しっかりと格調高く演奏され、骨太の感覚で充実している。輝きに満ちた音色で、ささやくような音色から喜び一杯の演奏まで幅広く、ホカンソンのピアノ演奏は表情が男性的で一段と明快に描き出されている。
ここで記憶しておかなければならないことは、ピアノという楽器の事である。メーカーの問題もさることながら、フォルテピアノは、ベートーヴェンの時代に、現代のコンサートピアノの原型の手前と云えること、二千人収容のホール対応というより、シューベルトアーデという2~3十名程度サロン向けの楽器ということである。19世紀初頭作曲者の時代から、20世紀のコンサート用グランドピアノとはスケールが違うだろう。ところが、シューベルトの世界はそれがミスマッチではないと云えるのだ。それくらい次元の高い世界に、音楽は高められていて青年シューベルトは、モーツァルト、ベートーヴェンに続き、ウィーンの世界を表現していてそれがアルバン・ベルクの十二音音楽へと飛翔する・・・エディット・パイネマンは今年、83歳を迎える。