千曲万来余話その528~「モーツァルト交響曲ハ長調K200、レヴァインが指揮する革新性・・・」
令和2年正月、2020年の劈頭にあたり読者のみなさまの安寧とご健勝を祈念申し上げる次第、札幌音蔵とクリケットレコードone-teamにて盤友人ともどもご愛顧のほどよろしくお願いします。
TV視聴の限りでは、ウィーナーフィルハーモニカーによる新春恒例のシュトラウス一家の音楽会、今年はネルソンス指揮のヨゼフ・シュトラウスがメインディシュで3日にはNHKニューイヤーオペラコンサートで、マスカーニ作曲カヴァレリア・ルスティカーナから復活祭の合唱、女声前列、後列とか中央に男声一列という配置など、新しい時代に相応しい音楽を鑑賞することができた。
1984年6月録音で、ジェイムズ・レヴァインはドイツグラモフォンからモーツァルトの交響曲第28番ハ長調K200をリリースしている。DG録音の歴史では、70年代にラファエル・クーベリック指揮するドヴォルジャーク交響曲シリーズでVn両翼配置が採用され、1987年新春コンサート、カラヤン指揮して弦楽部伝統配置が定着している。
レヴァイン指揮するモーツァルトの交響曲は全て第二Vnとアルトは右スピーカーから聞こえてくる。これはどういうことかというと、円舞曲ワルツなどの後打ちリズムは、上手かみてに揃えられることになる。しかも管楽器で云うとホルンの後打ちリズムも斉奏されて聴きもの。すなわち、音楽の聞こえ方が作曲者のツボにはまっていて、ピタリというものなのだ。しも手という指揮者の左手側からコントラバス、チェロ、アルト、ヴァイオリンと楽器を客席に正対させて、弦を、一本ずつピッツィカートさせてみると、低音から高音へとスムーズであることに気が付かれることだろう。すなわち、第一と第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスの順番で並べると、そうは行かないのである。
このことに気づいた指揮者にとって、多数派の第一と第二Vnを束ねた配置が、唯一絶対の配置ではないことを知らされることになる。つまり、その上にある効果的配置が伝統型のものということなのでレヴァインの業績は、それを全集録音完成させたことにある。音楽は、学術論文と異なるから理屈ではなく、感性に訴える。ヴァイオリンが2つの声部に分かれている理由は、楽器配置と密接な関係にあり、1955年以降のステレオ録音が、左にVnが配置され、右にチェロ、コントラバスという低音声部が配置されたことは伝統型配置の破壊であったに過ぎない。吹奏楽でコントラバスが舞台上手にある必然性は特別あるわけではない。左右に高音低音の対比によるものなのだが、声部の左右対比は、もっと別の次元の話であろう。それは総譜を手にする指揮者の音楽判断による。
レヴァインのモーツァルト音楽の特徴は、演奏が生気に溢れはつらつとした喜悦の表情にある。思えば、ウィーンという歴史は紆余曲折があり、その上での現在の姿なのである。LPレコード再生で、第二Vnが右スピーカーから聞こえる喜びは、体験した方にはお分かりいただける話である。
だから、音楽は、左右から聞こえるというのは非音楽的な話と一刀両断する議論は、間違いだろう。それはモノーラル状態であり、ステレオとしての左右分離は演奏にも影響を与える。つまり緊張テンションは半端ない。舞台配置の左右感は指揮者の判断問題だ。
第28番交響曲ハ長調は1774年ギャラントスタイルに向かう時期のものでミラノの空気に触れた交響曲が作曲された18歳(推定1773年作曲)作品になる。まさに清新でさわやか。
合唱の声部配置で女声前列、男声後列というものはすなわち、Vn両翼と同じ音楽観に基づいている。中央に男声配置するのもほぼ同じことで、チェロとヴィオラが担当する声部であり、舞台全体に響き渡るという王道を行く・・・