千曲万来余話その524~「レスピーギ交響詩ローマの松、極上の合奏能力を指揮する・・・」
Rome was not built in a day ローマは1日にして成らず。という言葉は高校生の時分に出会った言葉で、その深遠な世界にあこがれを抱いたものだ。特にロマンテッシュというドイツ語の永遠なるものという説明に対して、ガッテンが行く思いを覚えている。
オーマンディが残した一枚のLPでロンドン交響楽団を指揮したころ、音楽監督だったのはイシュトヴァーン・ケルテス。その当時の演奏は、言葉の真の意味で飛び切りゴージャスなサウンドを誇っている。アンサンブルの能力はトップ水準、そのレスピーギ作曲、ローマの松、ローマの泉はもっと人気が出ても良いディスクだと思っている。1968年頃録音。この頃のフルート首席奏者はジェイムズ・ゴールウェイ。ホルンの首席はバリー・タックウェル。クラリネットはジェルワーズ・ド・ペイエ(未確認の知識)
まるで独奏者たちがワンチームのオーケストラがロンドン交響楽団である。これは特筆すべき事実であって、あのカール・ベームがチャイコフスキー、ドヴォルジャークの交響曲を録音したのも、ロンドン交響楽団であったということは、決して偶然の事実ではなくてLSOの魅力こそ、その由縁なのだろう。スーパースターたちのドリームチームは、ベルリン・フィルが有名だ。ところが意外と、人知れずというか、ロンドン響は実力、トップチームの一つである。もちろんパリ管弦楽団も、その例に漏れないから、というのも、実力者たちのアンサンブルという意味なのだが・・・
教育が統一されているのはウィーン・フィルで、伝統組織の色彩が強いといえるだろう。ところが、決して純粋のみならず、外的なスタイル、人材も受け入れているからそこのところ、ピュアリズム一色ではないことに注意をすべきだろう。たとえば、ラグビーの日本代表チームは、混成チームでありながら日本代表という一点だけで、ワンチーム。どういうことかというと、純粋日本人というだけでないのは、大相撲を見るまでもなく成立している。それは弥生時代、渡来人というのは朝鮮半島からの人々のことを指していて、大和時代、日本最古の飛鳥大仏はいうまでもなく「とり仏師」の製作による。混血の事実は何も現代の思想ではあらず、古来やまとの思想は、大ビッグ和ユナイテッドにあるのではないか?これは、UKユナイテッドキングダム合衆王国の実体と一致する。
ここで話をローマの松に戻すとすると、1924年初演の作品になるから、近代の管弦楽作品ということである。1924年12月14日ローマのアウグステオ奏堂、基本的に二管編成でフルート、トラムペットは3管、ホルンは4管。鉄琴、チェレスタ、ハープなどなど、色彩豊かな音色の管弦楽を発揮する。ローマ三部作の2作目で、その昔、札幌市民会館で聴いたとき、第4曲アッピア街道の松では、古代ローマ軍兵士の行進で、客席の後ろから突然、バンダ吹奏楽の演奏が始まったとき、鳥肌が立った思い出は、忘れがたいものである。最近の舞台の後ろに客席が配置されたワインヤードタイプのステージで、指揮者は、正面に整列させて合奏の一体化を狙っていたのだが、それは、興ざめである。もちろん、LPレコードでは再生不可能な仕組みなのだが、生の音楽は、レコードに太刀打ちできるはずもない。その独自のシアターピースは、立体的な空間を巧く活用した方が良いのではあるまいか。
うまい話には要注意、アンサンブルの精度を上げるためといって、演奏効果を下げるのであれば、それこそ、第一と、第二Vnのf字孔を揃えるのがその良い例である。Vn両翼配置は、演奏効果を高める配置なのであり、そこのところ時代の要請といえるだろう・・・