千曲万来余話その521~「エルガー威風堂々第1番、ブリティッシュサウンドの真髄・・・」
希望と栄光の国土、二十世紀の劈頭に生み出された音楽エドワード・エルガー1857.6/2ウスター生~1934.2/23同地没は近代英国音楽再興の父である。イングランドでロンドンの北西部に当たるウスター出身。イギリスという連合王国はイングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの、多民族による連合国家である。立憲君主制で、エリザベス女王を戴きその近代以前の世界的覇権は歴史の綾だろう。18世紀の産業革命は、フランス市民革命とともに近世の発展に多大なる影響を及ぼしたものだ。君主制度を残し、民主主義を並立させるということは容易なことではない。ヨーロッパの近代史には、たとえば第一次、第二次大戦と多大なる犠牲の上に成り立っている。その歴史は、現代でいうとオイル資源をめぐる中東情勢の不安定に連なっている。
ルネッサンス文芸復興という13~14世紀の伝統の上にイギリスでは、ヘンリー・パーセル1659?~1695..11/21ロンドン没やジョン・ダウランド1565?~1626.2/20ロンドン没などのビッグネームから、バックス、ブリス、アイアランド、エリック・コーツなどなど近代英国作曲家は連綿とつながっている。そんな中でエルガーの業績は、きわめて多大である。その管弦楽法は精緻を極め、ポンプ・アンド・サーカムスタンス「威風堂々」第1番ニ長調から第5番ハ長調まで作品39の行進曲集は一際精彩を放っている。
作曲者自身指揮した第1番SP1914年録音は、冒頭のアレグロ、コンフォーコは改変されていて、ラルガメンテ希望と栄光の国土の部分が繰り返された編曲で吹き込まれている(パール盤)。EMI1976年録音エードリアン・ボールト卿指揮、ロンドン・フィルを聴く。まず何よりもその軽快なテンポ感に心踊らされるだろう。切れの良い金管楽器群の吹奏、きらびやかな打楽器のリズムが耳に心地よく響く。ラルゴきわめて遅くより、やや早いたっぷりと、幅広い音楽ラルガメンテ。繰り返された部分ではパイプオルガンの足鍵盤も加えられて、手ごたえ充分の管弦楽法で歌われる。
ここで、エードリアン・ボールト卿の指揮について考えなければならないことがある。彼のモノーラル録音から1970年代のステレオ録音LPレコードを再生するに、その師匠アルトゥール・ニキッシュから受け継がれた近代指揮法というべき即物主義的音楽は、現代の典型といえる。それはフルトヴェングラーの後期ロマン派スタイルよりは、クレンペラー派の近代的スタイルかもしれない。第二Vnが舞台上手袖に展開されるスタイルは、クレンペラーのステレオ録音だけではなくて、ボールト卿もそれを踏襲している。ステレオ録音初期には、コンサートホールレーベルで、パウル・クレツキ、ウィレム・ファン・オッテルロー、ピエール・モントゥー、カールシューリヒト達指揮する録音に明らかであり、現代のVn両翼配置に歴史は連なっている。左右のスピーカーでいうと、左スピーカーで第一と第二Vnが演奏される録音と、右スピーカーに第二Vnが展開する録音とでは、音楽は手の甲と手のひらを見るほどの相違がある。左右のスピーカーの両方に2本の中心線が有る対比と、左右スピーカーの中央に1本だけ対比の中心線が来る両翼配置とでは、作曲者の舞台配置を予想するか、無視するかほどの違いである。ステレオ録音の多数が、左右、高音域対低音域というコントラストが分かり易いステレオ感であった時代は、新しい時代を迎えたといえる。どういうことかというと、メジャーレーベルは1985年頃からのモーツァルト交響曲全集を録音したジェームズ・レヴァイン指揮の仕事がリリースされて、新展開を遂げているのである。
そういえば、ニキッシュやボールト卿は長い指揮棒を使用していた。そしてトスカニーニやグィド・カンテルリも同様である。理由はあるのであって、合奏アンサンブルの精度を確保するのに必要だからであり、その彼らに共通することは・・・・・