千曲万来余話その515~「マンフレッド交響曲、マゼール指揮ウィーン・フィル究極の美・・・」
オーケストラの音色で、木管楽器のオーボエは、一際チャーミングで聴いてすぐ耳に入る美しい存在である。1971年4/28~30ゾフィーエン・ザールDECCA録音、この頃オーボエ首席奏者は、カール・マイヤーホーファーで飛び切り美しい音色を披露している。彼は74年に非業の死を遂げた伝説の名演奏家で、ロリン・マゼール、カール・ベーム、イシュトヴァン・ケルテス指揮のレコードでよく耳にする音色、名演奏が記録されている。
だいたい、管弦楽で一人出色の名演奏家が居た時もアンサンブル合奏は、全体として素晴らしいものに仕上がっている。このレコードにおいても、クラリネット奏者アルフレッド・プリンツ、フルート奏者ウェルナー・トリップ、ファゴット奏者ディートマール・ツェーマン、ホルン奏者ギュンター・ヘーグナーなどなど首席奏者たちによる合奏は大変優れている。ちなみにコンサートマスターは69年からゲアハルト・ヘッツェルが就任していてオーケストラの要として活躍している。レコードにクレジットがあるものではなく、個人奏者名は推測の上でのこと。
スピーカーの中心に管楽合奏がプレゼンスしている時、弦楽器はその前面にプレゼンスする感覚がある。このLPのデッカ録音も大変に優秀で、奥行き感が充実している。この当時のステレオ録音は、低音域が右スピーカーに集中していて、左右感はヴァイオリンとチェロ、コントラバスの対称で確立させている。なかでも、ホルンセクションは右スピーカーに存在感が有り、懐かしい。というのも、最近のオーケストラ配置で、ホルンは舞台下手に居ることが多いからそのように感じられるのだ。オーボエの音色がホルンの量感ある音に包まれている舞台上手配置こそ、安定感が感じられるし、面白味もあるといえる。
マゼール1930.3/6~2014.7/13は、63~64年にチャイコフスキーの交響曲全集を完成させている。マンフレッド交響曲作品58は第四番(1877)と第五番(1888)の間(1885.9/22)に作曲されている標題音楽でバイロンの同名劇詩によっている。第三楽章が間奏曲、緩徐楽章で、終楽章フィナーレにはパイプオルガンが荘重な演奏を披露する。サンサーンスの第三交響曲「オルガン」は1886年に作曲初演されているからちょうど同時期のアイディアと云えるかもしれない。第一楽章ではアルプス山中をさまよう主人公マンフレッドを描き、第二楽章は眼前、滝の下、虹の中に仙女が姿をあらわす、スケルツォ。終楽章では昔の恋人アスタルテの亡霊がバッカスの饗宴のさなか、山神の地下宮殿にあらわれる。それは地上での不幸な終焉を暗示させる。
マゼール41歳の時の指揮は、脂の乗り切ったもので、気力に溢れている。ウィーン・フィルハーモニーもフルトヴェングラー没後、カール・シューリヒトや、カール・ベームらの活躍が有り、レナード・バーンスタインのウィーン登場も併せてマゼールの活躍と同時代を構築している。このレコーディングの時期には、イシュトヴァン・ケルテスも指揮していて、ある意味、ゲオルグ・ショルティの「指輪」デッカ録音などと同時期で黄金期だったかもしれない。
指揮者の仕事というものは、個人的な力量もさることながら、同じ時期の指揮者たちの競われた仕事の上で、合奏力は発揮されている。ということは、指揮者の仕事の一つは、オーケストラの演奏の邪魔をしないことであり、最大限の能力を引き出すところにあるだろう。それはあたかも、オーディオ・システムが、個性を表現することではなく、録音ソースの再生に尽きることと似ている。スピーカーは姿を消して、室内全体に演奏会場の空間が再生されて音楽が繰り広げられることに通じる。ロリン・マゼールは、ひたすらチャイコフスキーの世界を指揮して、ウィーン・フィルは最上の演奏をしている・・・