千曲万来余話その514~「R・シュトラウス、ホルン協奏曲、デニスが吹いた永遠の輝き・・・」

 ディスコグラフィの情報によると、1956年9/23第1アビーロードスタジオにて録音、たった一日の収録でしかない。それは、指揮者サヴァリッシュとデニスの出会いから最短の間隔でリハーサルが実行されて、33CXナンバーのディスクが記録されたことを物語る。ウォルフガング・サヴァリッシュというと1970年にはNHK交響楽団とベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を完成させている。その時の首席ホルン奏者は千葉馨さん。彼は1955年頃英国留学を果たしていて35歳頃のデニスに師事していたという。東京のみならず、日本全国にはバーチ、千葉馨さんに師事したホルンプレーヤーがたくさんいるはずだ。デニスにはそんな、縁ゆかりある伝説のスターである。
 1956年というとホフヌング音楽祭では、デニスがゴムホースでホルンコンチェルトを演奏した記録がある。なんのことはない、マウスピースの先に4ないし5mのゴムホースを繋いで演奏を試みたわけである。そんな茶目っ気ある天才デニス・ブレイン。薄くあわせた両唇のコントロールが抜群で、リヒャルト・シュトラウス19歳の若書き、第1番変ホ長調作品11では、冒頭から力強い低音域、メロウな音質の中高音域を楽々と吹き上げている。バーチいわく、彼、仕事する時はアレキを使っていた・・・つまりドイツ製のアレキサンダーを使用楽器としていたのである。レコードのジャケット写真によると、他のものではピストンヴァルブのものや、ラウーとか、パックスマンとか多様ではあるけれど、R・シュトラウスでの音色は、明らかに、アレキの可能性がある。
 力強く、骨の太い、安定感あるアレキによるアンサンブルにおいては、他のプレーヤーにとっては合わせやすい感覚がある。だから、デニスが吹いているL`Pレコードでは、フルート奏者ガレス・モリスやオーボエ奏者シドニー・サトクリフなどの名演奏も合わせて楽しめることになる。弦楽器奏者達だって相当、乗り気になって演奏しているのが手に取るように伝わってくるのが、この33CXレコードである。
 私は働くのではない、楽しむのだ、というシュトラウスの言葉、一見、享楽主義のように思われるのだが、その様な人にホルン協奏曲のような精緻な管弦楽法によるオーケストレイションを完成させることが出来るであろうか ? 否、人生を深く楽しむ人にこそ成し遂げることが可能な、パラダイス楽園であろう。盤友人は、LPレコードを再生することにより、記録を再生した上で、デニス・ロス1957年9/1の悲劇を克服することが出来る。モーターアクシデント、午前六時ころのロンドン近郊での悲しい出来事は、消すことのできない事実であり、その上で、記録を再生する幸せをかみしめること、その歓びを共有できる幸せこそ、残されたものの手向けである。
 あれから52年の歳月が経過して、盤友人はデニスによる、ホルン協奏曲を鑑賞してその歓びを皆様と分かち合いたいのである。
 第2番は1942年頃の作品で、当時、ドイツはスターリングラードでソヴィエトに降伏している。その複雑な心境は、シュトラウス一流の管弦楽法に描かれているといえるだろう。60年前の若書き作品とひと味違うところは、デニスの演奏で一際明らかにされることになる。多分ホルン演奏技術の最高ランクの記録が、この演奏であって、異論を唱える者はいないことだろう。孤高の境地が記録されていて、エヴァーグリーンとは、このジャケットが物語っている。死なないこと、楽しむこと、世界を知ることとは、ある米国人経済投資家の言葉である。残されたものにとり、彼のレコード再生こそ他にできることはないのであるのだが、おもうことはあること、けだし永遠の名言である・・・