千曲万来余話その511~「ベートーヴェン英雄交響曲、オーマンディによるデジタル録音LP盤・・・」
レコードを聴く時、最低は片面の再生をし終わらなければ、その芸術を鑑賞したとはいえないだろうと思っている。すなわち、つまみ食いともいえる最初の出だしだけとか、途中の2~3分ほど比較鑑賞は、よくかられる欲求ではあるのだが、それはつまみ食いでしかない。そのレコードの芸術鑑賞としては、必要十分とはいえない。どういうことかというと。違いに気がついたとはしていても、正確とはいえないということなのである。動物の象を、片手で触ってみて感触は理解しても、その全体の姿は、思い浮かべられないのと同じまでのことである。ある程度の鑑賞時間を経なければ無理ということである。
1980.9/26デジタル録音、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のLPレコードは、そんな経験をさせてくれる希少盤である。オーマンディ1899.11/18ブダペスト生まれ~1985.3/12フィラデルフィア没、本名は、イェーネ・ブラウ。5歳でヴァイオリンを学び、7歳で最初の演奏会、17歳で教授として迎えられ、22歳でアメリカに渡っている。32歳でトスカニーニの代役指揮者としてフィラテルフィア管弦楽団の指揮台に立っている。ということは、55年間ほど同じオーケストラとの関係を維持した偉大な指揮者といえる。常任指揮者、音楽監督などなど、契約関係は多様であるにしても、この長期にわたる関係は、たとえばカラヤンとベルリン・フィルの関係が33年余りだったことをみても、比較にならない長さだといえるだろう。
31~36年までミネアポリス交響楽団正指揮者、36~38年フィラデルフィア管弦楽団常任指揮者を経て38年ストコフスキーの後に同音楽監督就任、80年に勇退している。退任した後もたびたび客演指揮を果たしている。有名オーケストラとしては、ベルリン・フィル(1955年、エディンバラ音楽祭で)、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などと多くの共演を経験している。真に練達の指揮者、熟練のオーケストラビルダー、多数のレコードディングコンダクター・・・その華麗な経歴の中でも、看過できないのはRCAのエロイカ。
ベートーヴェンは人生の中でどの交響曲をイチ押しだったか知っている?YGさんは盤友人に質問したものである。すかさず、英雄!と答えると、やっぱり知っていたか・・・と続けたものである。B氏の自伝を読んでいると、エロイカ交響曲が自身で納得していて、最高の作曲だと伝えていたというエピソードがある。
確かにウィーンではハイドン104曲、モーツァルト41曲の後継作品として1804年私演05年4月テアトルアンデアウィーン作曲者自身指揮で初演されたものは演奏時間50分ほどの大曲である。以前の交響曲は演奏が30分程度のものだったから、2倍近い拡張がなされたのである。ナポレオン・ボナパルトに献呈を意図されたものの、N氏皇帝就任に激怒して、B氏は第二楽章に葬送行進曲を作曲して英雄の死を表現している。市民階級の革命を待望したはずが独裁者への変貌を許せなかったというB氏のロマンである。封建社会から市民社会への展開は、ベートーヴェンとして望むところであり、独裁政治は受け入れられなかったというのは、当時の個人主義思想として、一つの典型だっただろうと思われる。自由主義としての作曲者ならではの芸術である。近代思想史のイーポックメイキング作品と云える。
オーマンディが指揮したエロイカは数種類ある中で、RCA盤は晩年の録音であり、興味深い。1979年10月には指揮者ポール・パレーが93歳モンテカルロで死去、葬送行進曲に一際熱が込められているのも追悼の音楽なので分かる気がする。O氏は大編成オーケストラを指揮した人生であって、そのおおらかな音楽づくりは、それとして充分に愉しめる。なお、第一と第二楽章は演奏に32分が費やされていて、それが一気に片面カッティングされているのは、それもまた一興、ホルンの吹奏とか、ファゴットの妙技など、聴きどころ満載である。コントラバスの旋律線、メロディーラインなど実に素敵だなあ・・・