千曲万来余話その507~「三重協奏曲、不易流行、かき氷さんか?タピオカさんか・・・?」
抹茶、コーラ、カフェラテ、甘酒、青汁、水、なんでも来い!というのがタピオカで、今、大流行おおはやりだ。食べるものか?飲むものか?その両方というところであるだろう。女性たちは理屈じゃなく、好みの問題だから受け入れ易いことこの上ない。
いま時、舞台の上に、ピアノはアイコンタクト優先で、中央に鎮座している。そのうえで客席から見て左手側にヴァイオリン、右手側にチェロが座り両側に開いているのが常とう。ベートーヴェンは三重トリプル協奏曲として、独奏者たちがピアノトリオという見立てで、協奏曲を作曲している。これは、バロック時代の合奏協奏曲コンチェルトグロッソという音楽の発想である。不易流行とは、時代の流れに沿い絶えず新しみを追うこそ、多様化する時代に生きる唯一の道、古来名言とされる所以である。
レコードというもの、ジャケット写真は時代を映すツールであり、鏡である。ドキッとさせられるから面白い。むかしむかし、顔の白い犬が居ました、尾も白かった・・・面白い話だ。
ピアニストは言う、響きをまとめる上から・・・だからそれはありえない?かどうか、写真にそれは存在する。ソリスト達はピアニストの背中に、チェロ奏者とヴァイオリン奏者が展開していて、かなめ(要)に指揮者がいるところがミソ。1804年ハ長調作品56は完成している。ピアノトリオ三重奏を協奏曲としてとりあげたのは、合奏協奏曲の近代化で、ベートーヴェンならではの音楽といえる。一説によると素人を独奏者に迎えて・・・というものなのだが、これは、モーツァルトの戴冠式ピアノ協奏曲に共通する。独奏部分も、管弦楽部分も書法は平易であり、M氏の作曲といっても、眉に唾するしろもので、盤友人は聴くといつも疑問が湧いてくるのだが・・・
ここで、Vnはウルフ・ヘルシャー、Vcはハインリヒ・シフ、ピアノ奏者シプリアン・ツァハリアス、指揮者はクルト・マズア、ライブツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、1985年コピーライトだから84年頃録音のもの。
録音自体は、左スピーカーは明確にヴァイオリンとチェロ、ピアノは中央に定位して、これは録音技師の操作で、右スピーカーに低音部分という発想による。
昨日7/24知人のお宅でオーディオチェックを試みた。電源部コンセントの差し込み方で、極性の統一、ホットとコールド、グランドアース側を揃えることである。11の差し込みで1の字の少し長い方がアースというコールド側である。このサイトを見ている方で、プレーヤー、これはレコードでもCDでも同じこと、アンプ部分も差し込み方が問題なのである。さあ気になられた御仁は、もうオーディオ人として合格!、家の装置をチェックされると新しい世界が、開けること請け合いだ。
訪問した知人の電源コンセント、一本だけ逆の差し込みだった。アースを揃えて正解、音は変わった。 何をおっしゃる・・・と疑問を持たれることなのだが、やってみて分かるというもの、ピアノの配置にしたところで、いま時ピアノを中央配置にするのが基準になっている。そこを、ピアニストは背中に弦楽器奏者を配して合奏することで、世界は変わるというものである。
あり得ない話、ではなくて、この時代になって、第一と、第二ヴァイオリンは引き離されたVn両翼配置の時代になった。第一ヴァイオリンの隣は、チェロというのが、新しい展開である。ツァハリアスは指揮者の右手側に位置してピアノの演奏を展開するのだが、工夫するとアイコンタクトも可能な話であり、首を右手側に向けると、大丈夫であるはずだ。不易流行とは、絶えず新しみを取り入れることであり、それこそ、不変の態度なのであろう・・・