千曲万来余話その505~「シューベルト、ピアノ三重奏曲第二番、カザルスに魂消る・・・ by盤友人」
シューベルトはベートーヴェンの音楽を、楽々に超えて大輪の花を咲かせたエピゴーネンにあらずして、真に偉大な後継者、そして青年は荒野を目指す・・・
古典主義からロマン主義への展開とは、確立された形式から感情主体でありながら、なおかつ、あふれ出る情熱の自由な発露、そして永遠なる王国としての花園という自由な精神世界を創造する。ピアノトリオとは、ヴァイオリンとチェロ、そしてピアノによる合奏音楽、室内楽アンサンブル。三名の演奏家が、丁々発止、それぞれに音楽する。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというウィーンの作曲家により名曲は確立されて、特にB氏の大公トリオという巨大な名曲をピークに、さらにそれを超える高みにまで作曲と云う芸術作品を築き上げたのがシューベルトのトリオ第二番変ホ長調作品100。彼の死の前年、1827年の創作で第一番変ロ長調作品99に続く大曲となる30歳の作品。アレグロ快速に、アンダンテ・コン・モート歩くようにゆっくり、動きをもって。スケルツォ諧謔かいぎゃく風に、アレグロ・モデラート快く中庸で、という四楽章形式。ローベルト・シューマンは、より第二番を好み、痛み、激痛を感じる音楽として受け止めている。それは多分にベートーヴェン・ロスというS氏にとって精神世界のビッグバンである。第二楽章で、そして陽は再び沈むという民謡を主題にした音楽は、ロマン派の真髄である。
パブロ・カザルス1876.12/29スペイン・ペンドレイ~1973.10/22プエルトリコに没した20世紀最大のチェリスト、指揮者、4歳でピアノ、11歳からチェロを学びバルセロナ市立音楽院に進学、1896年から演奏活動を開始、1939年スペイン第二共和政崩壊とともに、フランス、ピレネー近くのプラドに隠棲した。
カザルス・トリオはアルフレッド・コルトーのピアノ、そしてジャック・ティボーのVnという豪華メンバーによる。1950年プラード・カザルス音楽祭は、アレキサンダー・シュナイダーVnの提唱により開始された。カザルスの偉業は、30年代バッハ無伴奏チェロ組曲を発掘したことである。チェロの演奏を飛躍的に拡張して、精神性をして価値ある音楽にまで高めた。シューベルトのトリオ第二番変ホ長調は1952年のライヴ録音、アレキサンダー・シュナイダーのVn、ミショスラフ・ホルショフスキーのピアノ。三者三様でありつつ格調高い歌謡性にあふれた展開を披露する。室内楽の原点ともいえる、名演奏のフィリップス録音。荒々しいまでに劇的な演奏か?というと、さにあらず、淡々と脱力し歌心溢れた演奏、スウイングたっぷりのメロディーに、心地よいリズム感、即興性、劇性に富み実演でありながら、傷は皆無で、当たり前と云うとそれまでのことなのだが、完成度、芸術性ともに高い不滅のレコードなのである。
カザルスは1971年10月24日ニューヨーク国連本部で、鳥はピース、ピースと歌うと発信したカタルーニャ地方、鳥の歌は万感胸に迫る、記録である。彼の信念は戦争の経験をもとに、平和の尊さを志向した不屈のメッセージ。NHK交響楽団首席チェロ奏者、早逝した徳永兼一郎氏、終末期ホスピスで気力だけの演奏を果たし、TVドキュメンタリー番組で盤友人は視聴している。チェリストを志す人は、カザルスを目指し、LPレコードの再生は、その高みを目指して登山を続けるという愉悦に連なる。演奏するとは何のためにあり、いい音とは、いい音楽とは、ぜんぶ、ここにある。演奏家、そして鑑賞、音楽する全ては、カザルスにつながり、シューベルト、ベートーヴェン、バッハそれはそれは、尽きせぬ努力の目的である。ウィーンは永遠の都、第二のローマなのかなあ?