千曲万来余話その497~「楽興の時、月光ソナタを思わせる彼シューベルトの世界・・・」
ある人はその授賞をことわり、Y氏は国民から頂いたものだと発信する。眼光紙背に徹する論客は、みごとにその力を発揮して誤解を糺す。文化勲章は歴史の積み重ねの上にあり、お上から授けられるものにあらずと云う指摘であって、さすがだ。国民の一人として歓びを共有したい。
シューベルトは、ベートーヴェンと同じくウィーンに住み、ただひたすらに、ピアノの作曲に偉業を残している。月光ソナタは1801年、ジュリエッタ・グィチャルディに献呈された名作。シューベルトは、1828年頃、楽興の時を楽譜出版している。六曲構成で第3曲はロシアの唄、1823年作曲になる名曲、「音楽の泉」開始のメロディーとして有名、盤友人の小学生時代で堀内敬三氏の名解説だった。ズッチャズッチヤ・ズッチャズッチャ、タッタリラッタ、タリラタリラータリラーラ・・・。
この前の第2曲は静謐の音楽で、余り実演で聴くことのない秘曲。クリフォード・カーゾン1907.5/18~1982.8/1ロンドン、彼は多数のレコード録音をベーゼンドルファーで記録している。楽興の時を再生するとスタジオではなく、ホール録音の可能性が高いことが分かる。優秀録音。この第二曲を幾度となく耳にしていて、序奏から三連符の音楽に移る時、ああシューベルトは月光ソナタの音楽の経験から彼の世界を照らしていることに想いが展開したものである。下敷きというのは正確ではなく、あたかも悲愴ソナタ第二楽章を「逝ける王女のパヴァーヌ」に書き換えたラヴェルの如く、アウフヘーベン、止揚を果たしたシューベルトの真髄である。
現代で耳にする多数のレコード録音では、ピアノ表記の多数はスタインウエイ使用のもの。ピアノというと、華やかで軽快、高音域の音質は倍音が豊かてある。ところが、ウィーン製のベーゼンドルファーというと、低音域の豊かな倍音に、グランドピアノの実力を知らされる。昔のウエストミンスターレーベルでは、ハンガリー系女流のエディト・ファルナディが使用していたピアノで、耳に親しい音色であった。その当時、モノーラル録音では、ベヒシュタイン、グルトリアンなど多彩なピアノの音色が花盛りだった。それがデジタル録音の時代になると、多数派はスタインウエイに絞られて、なぜなの?と想われる時代になったといえる。ステレオ録音LPでは、まだ、ベーゼンドルファーが生き残っていて仕合わせである。多分その演奏技量というハードルの高さゆえの現象で、ベーゼンドルファーピアニストは選ばれた世界に推移したものであろう。
ドイッチュ番号780作品94、「楽興の時」はベートーヴェンロスの世界、果たして人生の深淵を垣間見るひと時で、まさに時間の芸術として、その再生はオーディオ世界の醍醐味といえる。ベートーヴェン、シューベルト、カーゾン、この三者に共通する生涯青春の人生は、ある意味、豊穣のピアノ音楽の粋である。それは、あたかも水墨という夢幻の世界に遊ぶ、永遠という一瞬の刹那であり、女性たちの対岸にいるという希望の世界なのであろう。絶望と云う暗闇を知るものこそにのみ、光差す時間…
情報に溢れた現代で、200年前の音楽的意義を求める趣味は、それなりの対価を必要とする。交流電源が、50ヘルツという前提から60ヘルツ周波数転換を目前にして、そんなことをKT札幌音蔵社長は実現する。その後に用心しなければ、相当なジャンプ、着地に失敗する危険でくわばらくわばら・・・
ベートーヴェンには、ジュリエッタがあこがれで衆知の世界、シューベルトはそこのところ微妙だ。それはピアノ、といっても、現代のグランドピアノと別世界であったにしても、オーディオに相応しい世界に遊ぶ・・・