千曲万来余話その495~「モーツァルト、ホルン協奏曲変ホ長調第4番、あをによし奈良の・・・」
あをによし奈良の都にたなびける天の白雲・・・ここでいう青丹よしとは青緑、赤色成す奈良の都の枕詞で花盛りを意味する。ところが詠み人知らずの3602の歌は入新羅使のもので、あをによしは、アンニョンヒというハングルの日本語化したものではあるまいか?というのは盤友人の見立てである。オモニナラという言葉は、母なる国というハングル。その奈良の都にたなびく雲を、新羅の遣いは旅立つ際に詠んでいるのだろう。
モーツァルトはK495で、1786年頃四番目の協奏曲を作曲している。第一楽章アレグロ・モデラートこころよい中庸なテンポで、この音楽はギャラントスタイルともいえる前古典主義、ロココ風の様式。弦楽五部というのは、第一、第二ヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバス。それに、オーボエ、ホルンの二管編成。第二楽章ロマンツァ、アンダンテは、のびやかなゆったりした音楽で第三楽章は、ロンド、アレグロ、ヴィヴァーチェ。
指揮者カラヤンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任する以前、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団と、多数のレコード録音(1948年に初共演)を残している。英国で、名人を組織化して録音のために編成されたオーケストラ、その中心でヘルベルト・フォン・カラヤンは指揮していたことになる。当時不滅のLPレコードとしてベストセラーを記録したのが、デニス・ブレイン1921.5/17~1957.9/1を独奏に迎えた1953年12月録音ホルン協奏曲四曲のモノ。
先代からのホルン一家出身で、初代はアルフレッド・エドウィン・ブレイン。デニスの父親はオーブリー・ブレインBBC交響楽団、ロンドン・フィルハーモニーなどの首席奏者だった。デニスは1938年ブッシュ室内管弦楽団に参加してプロとしての経歴を開始する。1946年、指揮者ビーチャムからロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団の首席に招かれ、1950年にはフィルハーモニア管弦楽団の首席に就任している。この頃はロイヤル・フィルハーモニックとフィルハーモニアの掛け持ちが可能な演奏活動だったようだ。
デニスの演奏は、豊かな音楽性に基づいて、朗々としたホルンで天馬空を行く姿のような録音を残している。元NHK交響楽団首席奏者の千葉馨さんは、デニスに師事していて、彼は仕事する時、ほとんどアレキを使っていたと語っていた。アレキとは、アレキサンダーというメーカーの楽器のことである。音量が豊か、堂々とした鳴りっぶりでドイツ製のもの。ホルンの演奏は、オーケストラ演奏会では聴いているとき、独奏の場面ではハラハラする。音程のキープがむつかしくて、音がひっくり返ったり、とにかく目立つ。プロフェッショナルといえども、一発勝負で安定感を与える演奏を披露できるのは、超一流と云える。未熟な演奏家でなくとも、上出来の演奏は、拍手喝さいものなのである。その意味でレコードでは決して記録されることのないシロモノなのだが、それを易々と演奏した記録がレコード、というと、何か腑に落ちないものである。音がころげて不思議でないはずなのに、楽々と演奏しているのは、超一流ならではの演奏と云えるのではなかろうか?
ホルンというのは英語、イタリア語ではCornoコルノ。渦巻き状の管で左手でヴァルブを操作して、右手はベルという開いた筒の中に入れて演奏する。音程を作るのはマウスピースにあてた両唇で息を吹き込むことによる。このマウスピースにゴムホースをつないで、先にロートをはめると、立派な楽器、ホルンのような演奏は可能である。英国のホフナング1956年音楽祭にデニスは出演して、それを実演した水撒きホース記録レコードもある。