千曲万来余話その491~「シューマン、ピアノソナタ第2番ト短調作品22、訃報イェルク・デムス」
15日ノートルダム寺院大火災に続いて、16日イェルク・デムス1928.12/2ベルテン生まれの訃報が届いた。享年90歳。彼は去年も来日公演を果たしていて、大の親日家。一時期毎年のように来日していて、盤友人もベートーウェンの第三番協奏曲や、バドゥラ・スコダとの二重奏など三回の演奏会を愉しんでいた。2003年4月22日にはリサイタル終了して、ロビーでサインを頂いた。その時に持参したLPレコードは、フィッシャーディースカウ独唱、ブラームス曲マゲローネのロマンスだった。彼は一瞬、驚いて、遠くの方を眺めるようにひと言、ショェーン!と発した。椅子に着席していた彼の顔は間近にあり、瞳の色は青色ブルー。リーベ・レルネンとか添え書きとともにブックレットの余白に自署していただくことができた。
1955年には、バッハ、ゴールドベルク変奏曲をウエストミンスターレーベルに録音。とにかく録音は豊富で、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン・・・この時期の青年デムスは次から次へとリリースしていた。そののち、ドイツ・グラモフォンレーベルに契約が移行して、ディースカウが歌う歌曲の伴奏など豊富なレコーディングを成し遂げている。歌曲の伴奏者と云うと、マイナーな印象を受けるのだが、デムスの場合、独奏者としても八面六臂の活動を経験しているから並ではないだろう。
鍵盤楽器の歴史は、バッハの平均律クラウィーア曲集に始まると言っても過言ではない。確かにスカルラッティ、ラモー、クープランなどイタリアやフランスにも歴史はさかのぼることが出来る。その後を受けて、ハイドンのソナタやモーツァルト、ベートーヴェンと歴史は展開する。ベートーヴェンの後姿を見て、シューベルト、そしてリストは作曲を発展させている。シューマン、ショパンというのは、ロマン派の典型である。デムスはその後、セザール・フランクやドビュッスィーまでレパートリーにしている。そして独奏のみならず、シューマンやブラームスのピアノ四重奏曲など室内楽の分野にも活躍している。
アベッグ変奏曲作品1、蝶々作品2、ダヴィッド同盟舞曲集作品6、トッカータ作品7、謝肉祭作品9、幻想小曲集作品12、交響的練習曲作品13、子どもの情景作品15、クライスレリアーナ作品16、幻想曲作品17、アラベスク作品18、フモレスケ作品20、森の情景作品82、 ローベルト・シューマン1810~56は数々のピアノ作品を作曲し、自身もピアノ演奏に熱中し過ぎていた。そして精神的な不安定を経験し、幸福と苦難の両方の道をたどっている。
ピアノソナタ第2番ト短調は作品22.そして第1番は作品11だったというのは、ベートーヴェンにならい、作品番号の管理は、意識的なものであったというのは容易に想像することが出来る。ベートーヴェンのピアノソナタ32曲は、第31番のソナタをもって100楽章を作曲完成して、第32番は二楽章の構成から成立していた。シューマンの第2番は四楽章構成からなる。第一楽章は迅速な速度で、第二楽章はアンダンティーノ、第三楽章はスケルツォ、特に迅速な速度で、第四楽章はロンド。聴いていて特にソナタ形式の音楽ではなく、それぞれがショパンの前奏曲に相通じるものがある。
デムスのピアノは、音色が低音域の音色に重量感があって当時のウエストミンスターのアーティストの音色に共通するものがある。現代はとにかく、スタインウエイが多数派を形成しているのだけれども、デムスがデビューした頃の音色は、現在と違っていたのである。確かな技巧もさることながら、ロマン派の何たるか、情熱の伝道者として面目躍如するものがあったのだった・・・