千曲万来余話その490~「ブラームス、11のコラール前奏曲集、ノートルダム寺院…」

 その日は午前8時のテレヴィ放送の映像で、大聖堂が炎上する場面で尖塔がまさに崩れ落ちる瞬間を捉えていた。15日の午後7時という現地時間から8時間にも及ぶ火災に見舞われたノートルダム寺院、人々が悲嘆にくれる様子を伴い、ニューヨークの9/11事件と同じような様相を呈していた。聖母マリアを意味し、宗教的聖地でありながらパリの歴史的文化的象徴としてのノートルダム寺院が初めて被災を経験する悲劇的時間である。
 800年にも及ぶ人々の信仰対象、ゴチック期の代表的建築物は二度の世界大戦を免れていながら被災するという大きな事件で、ターナー、1835年作品の「国会議事堂の火災」を想像させる。ノートルダムにはパイプオルガンが設置されていてフィリップス録音でピエール・コシュローが演奏するブラームスのコラール前奏曲集作品122を鑑賞することができる。
 第 1 曲 Mein Jesu,der du mich 
 第 2 曲 Herzliebster Jesu
 第 3 曲 O Welt, ich muss dich lassen
 第 4 曲 Herzlich tut mich erfreuen
 第 5 曲 Schmucke dich, o liebe Seele
 第 6 曲 O wie selig seid ihr doch, ihr Frommen
 第 7 曲 O Gott, du frommer Gott
 第 8 曲 Es ist ein Ros entsprungen
 第 9 曲 Herzlich tut mich verlangen
 第10曲 Herzlich tut mich verlangen
 第11曲 O Welt, ich muss dich lassen まで、録音は1, 6, 2, 8, 9, 11, 10, 4, 5, 7, 3という     順番でなされている。
 パイプオルガンは、十本の指のみならず、スエル(床)という二本の足を駆使して足鍵盤を演奏するという全身を使う楽器の王様である。綾なす高域メロディー、中音域の定旋律、そして足鍵盤による低音域というポリフォニー複数旋律音楽の粋。ロマンティシズムというのは、欲望を欲する精神の発露ともいわれ、ブラームスはその中で擬古典派ともいわれるバロック音楽を深く追い求める作曲家、バロックとは「いびつな真珠」ともいわれ、同時に左右拡張する精神の芸術である。実際にオルガン演奏の作曲家ではなかったけれども、作品番号を持つ唯一の遺作となった十一曲のコラール前奏曲、ヨハン・セヴァスティアン・バッハを尊敬するブラームス渾身の傑作と云える。ピエール・コシュロー ?~1984.3/6没は1955年からノートルダム寺院のオルガニストを務めていた。
 オルガン演奏による音楽は、ときとして矮小化された感覚に陥り易いのであるけれども、大聖堂の音響は、まさに、ストラクチュア構造物としての音楽体験であり、それを想像する努力を必要とする。火災の映像はあたかもミニチュアの感覚に陥りがちなのであるけれど、事件は歴史の消失であり、大惨事であることを忘れてはならない。ニュースを受け入れがたい感覚とともに、数百万数千万人に及ぶ悲嘆を想像するに、「祈り」の行いの必要をことさらに痛感するレコード鑑賞を、これからも続けることの日常を、つらくもいとおしく思われる一日となった・・・