千曲万来余話その488~「モーツァルト、ピアノ協奏曲第23番、ハスキル讃」
M氏は35年間の生涯において27曲のピアノ協奏曲を残している。1767年11歳で、ケッヘル番号37ヘ長調は第1番にあたる。そのうち、短調作品はK466ニ短調とK491ハ短調の二つしかない。
短調と長調の違いは、第三音の音程が長短三度の相違による。短調は狭い短三度によるために、悲しい音楽の様相を見せる。主音を(ド)とすると(ミ)との音程は全音と全音の積み重ね。ところが短調の場合、主音を(ラ)とすると第三音は(ド)にあたり、全音と半音の音程になる。主音がドの長調は、ハ長調、Cメジャー、主音がラの短調はイ短調、aマイナーになる。主音がラの長調はイ長調Aメジャーになる。ドイツ語でいうと、長調はドゥーア、短調はモールと呼ばれる。だからAメジャーはアードゥーアA-durということになる。
ピアノ協奏曲イ長調の作品はK414とK488の二曲。ヘ長調F-durはK37、K413、K459そしてK242。変ロ長調B-durはK39、K238、K450、K456、K595。ニ長調D-durはK40、K175、K451、K537。ハ長調C-durはK246、K415、K467、K503。ト長調G-durはK41、K453。変ホ長調Es-durはK271、K449、K482、K365。以上27曲、このうち、変ホ長調K365は二台、ヘ長調K242は三台のためのロドゥロン協奏曲になる。
モーツァルト音楽愛好家モーツァルティアンとして、クララ・ハスキル1895.1/7ブカレスト~1960.12.7ブリュッセルは有名である。1906年11歳でパリ音楽院、フォーレに師事し、翌年からコルトーの指導を仰ぐ。1909年には首席で卒業、バーゼルではブゾーニに認められている。イザーイとの共演、エネスコやカザルスらとの共演を経験して、1936年にはスイスの市民権を得てレマン湖のヴヴェイに移住。ハスキル58歳にしてVnのグリュミオー32歳、このアンサンブルは7年のコンビネーションを記録している。
1954年録音パウル・ザッヒャー指揮ウィーン交響楽団(ウィーン・フィルハーモニーが国立歌劇場管弦楽団を主体メンバーとしたのとは別組織の交響楽団)。この録音のピアノは、おそらく、ベーゼンドルファーと思われるのだけれども、クレジットは未標記である。楽器の倍音が、低音域主体であるところからそのように判別可能である。特に、ハスキルのタッチ打鍵は繊細で、豊かな響きを奏でていることにより、特徴的である。決然とした歌いまわしの上に、フレーズといって、句読点の導き方が極上品と云える。
盤友人が小学生の時分、ピアノの先生はいつも、オクターブ上の旋律を一緒に弾いてくれて、弾きやすかった経験がある。その感覚と共通するものを感じる。ただ、大学生で教授に指導を受けた時は、打鍵を抑制されて、フレーズの収め方を工夫するようによく注意されたものである。一本調子にならずに力を、抜くというような脱力注意といえる。ピアノのレッスンで、しっかりした打鍵を身に付けたら、その上の段階として力を込めたり、抜いたりする感覚を身に付けなければ上達したとは言えないのである。
ハスキルの芸術は、あたかも、モーツァルトが直接に弾いていると思われるような極上の音楽の演奏で、その場に居合わせた指揮者も、管弦楽団員もその音楽の中にある。それは、演奏行為の、最上の感覚、現在と永遠の共通、と云えるかもしれない。第二楽章アダージォ緩やかには、八分の六拍子、シチリアーノ舞曲。クラリネット、ファゴットそしてフルートという木管楽器編成。オーボエがいない、しっとりとした月夜の光の中のドラマ。ピチカートという弦楽アンサンブルも、趣がある。そこはかとないM氏の哀しみを味わうに、極め付きの名曲、イ長調ピアノ協奏曲第23番である。