千曲万来余話その482~「プレヴィン死去、R・シュトラウス四つの最後の歌」
三月に入り、1日の夕方アンドレ・プレヴィンの訃報が知人からメールで届いた。89歳とのことで老齢によるものと思われるが死因不明、ニューヨーク・マンハッタン自宅でのこと。盤友人は彼に東京渋谷NHKホールの楽屋で、2ndVn永峰高志さんを通して会話した経験がある。伝記本にサインを頂いた時ディスイス゛ノットトゥルーとぶつぶつ、しぶしぶのご様子だった。ベートーヴェンの第五交響曲、第一楽章389小節目の全休止を盤友人が示し、ディスイズ、メイビーノットオリジナルパウゼ !と言うと即座に、オーイッツ、インタレスティング !と楽譜に目を落としつつ反応していたのは嬉しい体験98年5月のことだった。
プレヴィンというとご艶福家で有名、複数回結婚キャリアで70年代は映画女優ミア・ファロウと、他にもVnアンネ・ゾフィームッター06~09ともカップルで協奏曲をCDリリースしている。生年1929.4/6ベルリンでとされているが、本人はユダヤ系ロシア人家庭出身で正確なところを不明としている。幼少期ベルリン高等音楽院でピアノを、9歳でパリ音楽院入学マルセル・デュプレに指導を受けて、39年渡米し43年米国籍獲得、ジャズピアニスト、映画音楽作曲家として編曲、作曲で活動を開始して51年からサンフランシスコ響のピエール・モントゥーに指揮法を師事している。セントルイス響62年指揮者としてデビュー、ヒューストン響67年音楽監督に就任、ロンドン交響楽団68~79、ピッツバーグ交響楽団76~84、ロスアンジェルス・フィル85~89、ロイヤル・フィル85~92、オスロ・フィル2002~06、そして2009年からN響首席客演指揮者の座についていた。
独墺系、フランス、ロシア系など指揮したレパートリーは広いものがあった。イタリア系は不思議にも無い。80年代ウィーン・フィルともレコーディングは多数で、R・シュトラウスは自家薬籠中のもの、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りという二刀流も記録している。艶福家ということからも分かることだが、気が多いのみならず魅力がある好人物で、才能有りの天才的音楽家だったといえる。ピアニストでもオペラ作曲もなど、LP録音も多数。
1948年R・シュトラウス1864~1949の遺言的作品に、四つの最後の歌がある。ソプラノ歌唱で、管弦楽伴奏の文字通り最後の作品。ヘルマン・ヘッセ、ヨゼフ・フォン・・アイヒェンドルフの詩による。1曲春、うす暗い洞穴の中で、私は長い間、夢を見ていた・・・2曲九月、庭が悲しんでいる、夏はとどまり平安を憧れる、3曲眠りにつくとき、今や昼はわたしを疲れさせる・・・以上ヘッセ、4曲夕映え、私たちは悲しみも喜びも手に手を取って通り抜けてきた・・・おお広い静かな平和、夕映えの中、深く私たちは疲れ切っている、これがことによると死なのだろうか?
この曲順は出版楽譜に拠るもので、ベーム指揮、Spリーザ・デラ・カーザは3と1曲目を入れ替えている。これは、演奏の開始に、春に、は負担が大きいことによる。プレヴィン指揮ロンドン交響楽団、ソプラノ独唱アンネネリーゼ・ローテンベルガーは1974年録音。クリストファー・ビショップがプロデュース、録音技師クリスファー・パーカーの手によるEMI盤は名録音の誉れ高い。名録音の条件として、楽器音色の分離が鮮明、管楽器と弦楽器の位置感覚にすぐれ、独唱者とのヴァランス良好で、自然なホールのプレゼンス感覚が明快、空間感が秀逸で、極上のアナログ録音である。三曲目の歌唱など、意欲充分の感じがひしひしと記録されている。ローテンベルガーはオペラ歌手としても経験豊富で、確かな技術を披露していてリヒャルト・シュトラウスの世界を歌唱し、華麗さ、虚無感、後期ロマン派の夕映えを象徴して代表的録音盤となり独奏Vnやホルンソロも実に美しい音楽に仕上げられている。