千曲万来余話その479~「B氏ピアノ三重奏曲、ジャクリーヌ・デュプレ、バレンボイム、P・Z」

 彼はいい人だ、というと彼の人間性を指す断定の文である。ところが、彼は人がいい、と言うとき少しニュアンスが異なる。良い人なのだけれど、トラブルになる時に使われることである。文というものは、言葉面が同じであっても、用いられ方で意味がそれぞれであるから、その微妙な違いに気を使う必要がある。
 ベートーヴェンの作品番号はopオーパスで表されるのだが、彼の場合、WoOという作品番号無しの作品もある。それは1795年以前のものと、それ以後でも未発表や未完成作品によるものがあるからなのだ。後世に整理されていて205まである。作品番号1は、ピアノ三重奏曲三曲、第一番は変ホ長調。ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための作品である。1969年12月、70年1月録音になるEMI盤、ジャクリーヌ・デュプレのチェロ、ピンカス・ズッカーマンのヴァイオリン、ダニエル・バレンボイムのピアノ。
 ジャッキー(デュプレ)1945.1/26~1987.10/19は、1961年3月1日ロンドン、ウィグモアホールで正式なプロデビューを果たしている。ビートルズの正式レコードデビューは1962年10月。戦後、新しい時代の胎動といえるかもしれない。ところが彼女の活動は、1971年頃から体調不良に陥り、1973年多発性硬化症と診断されて、リタイヤすることになる。折しも来日公演は実現されずに夢となった。彼女はバレンボイム指揮盤でナレイションを残している。天才少女の記録は、サー・ジョン・バルビローリ指揮1965年、エルガーのチェロ協奏曲が有名。68年シューマンのチェロ協奏曲、指揮バレンボイムは新婚ホヤホヤどきのアルバムで文字通り、熱演の記録となっている。
 B氏のピアノトリオ全集はズッカーマンのヴァイオリンを得て完成され、緻密なアンサンブルを聞かせる。バレンボイムのピアノ演奏が中央にセッティングされ、堂々としている。グランドピアノだからなのだが、作曲当時のフェルテ・ピアノという楽器と味わいは、多分異なるだろう。だからというわけでもないけれど、楽器の配置として、スピーカーの左側から、ヴァイオリン、中央にチェロ、右側にピアノというものをイメージするのが、作曲者のものと考えられる。バレンボイムよりは、ジャッキーのチェロを中央にセッティングしたいのである。レコードでは、左右にズッカーマンとジャッキーが展開してい、真ん中にバレンボイムがいることになっているのは演奏風景の写真。ステレオという定位、ローカリゼイションの感じられる録音では、中央に何が必要か? よく勘案する必要がある。すなわち、なにも考えないのはモノーラル録音と言うべきで、ステレオ録音はそこのところ、面白味があるといえる。作曲者はヴァイオリンのピッツィカートとピアノとの対話を設定しているから、そこで左右感がチェックされているのであるまいか? ステレオ録音はそれを表現できるのだから、盤友人はそこを指摘しているまでである。
 ある意味、ジャッキー晩年の録音であり、味わい深いものがある。彼女の内面で不調の予感があったのかもしれないが、うかがい知れないところではある。ストラディバリウスの名器は滑らかな音色を披露していて、クレジットはないのだけれども、美しい演奏である。彼女最期の記録は、ショパンのチェロソナタ、バレンボイムのサポートでペレッソンというのが使用楽器とされている。
 室内楽は、合奏でアンサンブルといわれるもの、ここでは楽器同士で対話が行われていて、表と裏の会話が楽しまれる。これは二重奏と異なる味わいであり、チェロは重要な役割を果たしている。音楽は感性の世界で、結果を求められのではあらず、時間自体を味わう、異なものである・・・